拾玖/



「僕らは悪くない…全ては破壊者を生み出すきっかけとなった灰色の世界の所為」
 伏せられた瞼が再び開く。
 飴色の瞳にはやはり激しい憎悪が込められていた。
「ならば…尚更、渡すものか」
 硬い口調で鹿目が返した。
そして、じり、と僅かに左足をずらす。
(来るか…?)
 横にす、と伸ばされた子津の腕に構える。
「四辺の――」
「!」
 僅かに声が聞こえた。
 俯き気味の子津の表情は読みとれない。
だがその口の動きと周りを流れる風の動きの変化で、何を起こそうとしているか悟る。
(…言霊!)
 しかもこの言霊は――。

「――四辺の籠・南方の暴風」

「チィッ…!」
 周りを、音を立てながら勢いよく風が包む。
そして突然、電気が通ったかのように鹿目の躰が硬直した。
「貴方が一番厄介なんすよ。暫く其処で大人しくしててください」
「糞餓鬼がァ…ッ!!」
 子津の言葉に、悔しげに歯軋りをし何もない空間を叩いた。
 叩けば、大きな打撃音がした。
「鹿目…さん…?」
 比乃は状況が判らず、とりあえず鹿目に問いかけた。
今分かるのは、異質な風が鹿目の周りを球体状に取り巻いていることとそれをやったのが子津だということ。
「謀られたのだ…!糞餓鬼め…偽物の風なんか使いやがって…!」
 忌々しげに吐き捨てた。
球状の風の中で鹿目の風が暴れているのが視えるが、取り巻く風は全く乱れない。
 綺麗なまま、球を描いている。
「偽…物?」
 何が偽物なのか。
ぽつりと零した呟きに答えたのは、やはり敵の聖霊だった。

「僕は水の聖霊っすよ、比乃君」
 そう言って徐に差し出した掌を下に向けると、其処から小規模の雨を降らせた。

「…!?」
 精霊には四種類の属性がある。
 術師ではない人間はそれこそ万物に宿っていると考えているらしいが、それは間違いだ。
基本的に無機物――命を持たないものにしか精霊は宿らない。
逆に言えば、精霊が形作っているものは無機物である。
 勿論精霊には属性が定められており、必ず風・水・土・炎の四種類のどれかだ。
そして属性が定められているため、使う力はその属性でしか有り得ない。
 つまり水の聖霊で在れば水術しか使えないのだ。
 それなのに。
(どうやって…?)
 彼は風の聖霊のように風を作った。
世界の理を越えて違う力を使うことは絶対に出来ないはずなのに。
「…奴等が使う術は精霊の力を借りて使うのではなく、精霊を自分の力で縛り付けて使役する術なのだ」
「し…えき…」
 今度は、鹿目が答えた。
やはりその声には苦い響きが含まれている。
「無理矢理、精霊の霊力自体を引き出すのだ」
「霊力を…?」
「――つまり何でも出来るってことっすよ。条件は、あるけれど」
「黙れ。精霊の誇りすら捨てた貴様などに何が出来ると言うのだ」
 ぴくりと痙攣する子津に呼応するように、少し球体状の風が跳ねた。
感情の乱れによって起こった制御の失敗だ。どうやらすぐに収まったようだが。
 それがどのような感情を表していたのかは知らないが、続けて子津は楽しそうに喋り出した。
 チリッと球体状の風がまた跳ねた。
「ああ…さっきから思ってたんすけど」
「…なんだ」
 一旦言葉を切って、痺れを切らして漏らした鹿目の問いに、満足そうに微笑う。
まるで馬鹿にしているかのように。実際、馬鹿にしていたのだろうが。誰かを。
 微笑ってから、比乃に目を向ける。途端に笑顔は別のものに変わった。
「その様子だと契約は誰ともしてないみたいっすね」
 そうしてさも可笑しそうに嗤った。
「契約できる程の霊力すら無い餓鬼は其処で伏してればいい」
「――っ!」
 ずきり、と心臓を貫かれるかのような痛みが走る。
彼の言うことは事実だ。どうしたって言い返すことが出来ない。
(こうなったのは、僕の所為――)
 まるで何かの呪文のように頭の中で繰り返される言葉。
 被害妄想も甚だしい、と誰かが嘲笑えば良いのに。

 こうなったのは、僕の所為だというのだから。
(霊力がもっとあれば、契約できて、変わったかもしれないのに)
 聖霊の数ならば、此方の方が有利だ。
もしも、契約が出来ていたとしたら。鹿目さんと。猪里さんと。凪ちゃんと。契約を結んでいたなら。

 だから、こうなったのは――

「比乃!」
 びくりと震える躰。
その肩を掴まれる感触。肩から伝わる体温。じわり。じわり。
「あ…」
 周りが、ちゃんと見えるようになった。
「…大丈夫とね?ほら、比菜ん側についとってな?」
「猪里さん…は…?」
「彼奴は俺がくらしちゃる。だから、比乃は此処に居てな?」
 そう言って猪里は比乃の数歩前に立ちはだかった。
 足を適度に開き心持ち右前の体勢で、構えているとは思えないような自然体で構える。
「子津、俺が相手っちゃよ!」
 叫んで初めて腕を前に突き出す。掌に在った小さな水の塊が、目に見えぬ速さで子津に殺到する。

「――降り注げ水沫・流れよ水神、」
「降り注げ水沫・流れよ精霊 水は我の配下だ!」

 ぱん、と子津の周囲で水の塊が弾けた。
「これで終わりっすか?」
 子津の掌には一振りの白い刀が納められている。
最初の戦闘で猪里が見せたように、子津も殺到する水から瞬時に刀を作ったのだ。
「あなたじゃ、僕には勝てないことは判っているでしょう」
(痛いトコ突いてきよって…!)
 限界まで精霊の力を引き出す事が可能である術に対して、純粋な精霊の使う力だけではどうにも弱すぎる。
相手には術師が居る。対して此方は単独の聖霊しか居ない。
 分かっている。だがそれでも此処で彼らを止めなくてはいけないのだ。
(やったら、方法なん一つしかなか)
「せからしか奴やね…!」
 少しの助走の後、人間には不可能な程高く跳躍する。

「鏡成る水の平・刃たる水の角 水流は幾万の水龍・水刃は幾万の水神!」

 複雑な言霊を瞬時に唱える。
上空からの攻撃は、真直ぐに黒豹と子津の間を打った。
 黒豹が檜を抱きかかえて後ろに飛び退さったのに対し、子津は前に飛び込んだ。当然離れる二人の距離。
「一対一で勝負しい。独りやったら…きさん程度じゃ勝てなか!」
「冗談!貴方程度なら一対一でも勝てるっすよ!」
 キィンと甲高い金属音が響いた。
着地する猪里の、刀による上段からの攻撃を子津は刀身で流して鍔で受け止める。
 左手を添えるとそのまま刀を跳ね上げ、間合いを取った。
「聞いて呆れますね…『本栖の天龍』がこの程度なんて!」
「黙ってッ…打ち合いばしとりぃ!」
 猪里が子津に突っ込んでいく。
一度打ち合うと弾いた刀をそのままに、左手を突きだし再びの詠唱。

「天貫く黒雲の龍・弐点・水脈を穿て!」
「水脈は万の槍・肆点・湖面這う白霧の龍!」

 打てば響くように言霊が返り、子津に向かっていた水流は新たに表れた四本の水流に飲み込まれる。
その水流はそのまま猪里の頭上に迫り、彼をも飲み込んだ。
 かに見えた。
「滅!」
 轟と響く水音の中鋭い声が聞こえたかと思うと、瞬間、猪里に押し寄せていた水流は見事に弾けた。
「くッ――」
 余波の霧が勢いよく流れる。
 言霊によって起こした現象の威力は、普通ならば一言で切り捨てられる程度では無かった。
それを相殺までとはいかずとも消してみせた姿は、流石御山の聖霊といったところか。
 だが、それだけだ。

「――転!参点・伍点・壱拾点 白霧の天龍!」

 霧が、瞬時に水に成った。
 高く跳躍した子津と共に高い位置から降り注ぐ幾つもの水の矢。
 猪里は次々と放たれるそれらの間を縫うように疾る。
瞬時に子津の背後を取り、刀を心臓目掛けて突き出そうとした瞬間。
「本当に残念だ」
「……!」
 子津が一閃した刀は遮るもの無く猪里の脇腹に食い込む。
瞬間猪里の姿が消え、その場で大量の水が四散した。
「猪里さん…!」
「チッ…!」
 比乃が叫ぶ。
呆気なく消えた聖霊に、しかし子津は必要がないから取りあわない。
 尚も比菜に向かって距離を詰める子津の前に虎鉄が滑り込んだ。
「通さねェZo!」
「ええ!あなたが天狗だからといって容赦する気は無いっすから!」
 突然の介入に驚くことなく子津は冷静に刀を閃かせる。
ぶつかり合い澄んだ音を立てた虎鉄の手元には、大振りの両刃の刀。
 赤みがかったその刀を跳ね上げる。
「何故其処まで神子に拘るんだYo…!」
「ハッ…!今更そんな問い?馬鹿げた事を訊くな!」
 脇に突き出された刀を刀身で受け止める。
今度は袈裟懸けに振り下ろされた刀を軽やかに側転で躱す。
「僕はこの山に捨てられた!」
 悲痛が痛いほど混じる叫び。
尚も鋭さと速さを増す攻撃の中、高揚する気持ちが抑えきれなかったのか。
「世界に拒絶され、世界に反しているからと消滅されかけて!それを拾ってくれた主に、身が朽ちるまで尽くすと決めて何が悪い!」
 同情する謂われはない。
ないはずなのに、それでも意志に反し緩めてしまう攻撃の手。
 その隙を、突かれた。
 滑るように流れ出した言霊に後れて反応する。

「降り注げ水沫・血の飛沫 落つるは一石の純水!」

(まずい――!)
 遅かった。大量の水の落下を避けられない。
水によって周囲に展開している炎の精霊が消えることはないが、一瞬だけ精霊の統率力を失ってしまう。
 そしてこの闘いに於いて、その一瞬がとても重要なのは明白だ。

「燃え盛る灼熱の焔・灼熱の風・灼熱の水 落つるものは喰らいつくせ!」

 地面の落ち葉を媒体として、舐めるように炎が広がる。
上空に現れた一石あまりの水が音を立てて蒸発した。
 気化しきれない立ち上る湯気が視界を白く染める中、更に足された呪。

「更に落つる一斗の純水 灼熱の水・灼熱の大地・灼熱の大気!」

(反復呪文Ka…!)
 同じような文字列で呪を返せば呪の効果が二乗される。それが反復の言霊。
 このままでは、高温に熱せられた水蒸気を含む空気で火傷してしまうだろう。
火の聖霊は火傷をしない。しかしこの場に居る他の人間に影響はある。
 恐らくは、それによって集中が途切れることが狙い。
(そうそう狙い通りNi行かせるKaッ!)

「一斗の純水を覆うは一町の焔・灼熱の大地は朱・灼熱の大気は緋 燃やせ!我は此の山を統べる者だ!」

 統治。それは切り札とも言えるべき言霊だ。
聖霊同士の戦闘の場合、言葉の持つ意味は直接言霊の力になる。
天狗という地位は聖霊の中でも最も高められた存在。それが命運を分ける力だ。
「な…ッ」
 尚も残っていた水が一瞬にして気化する。
子津の姿を視認する前からその方向へ飛び出し、その首筋に刀を突きつけた。
 柄を握りしめる。終わった。少しばかり指の力を緩め、勝利を宣言する。
「お前の負けDa。残念だっ――」

「純なる世界たる黒と白の化身・伍の世界・肆の翼・参の大地・弐の宝・壱の唄」

 バチッ

「解 放」
「うわっ!」
 突然の閃光。
 事態の把握が出来ぬまま、その光が収束してゆくのを見つめる。
「Shit…!」
 油断をした。戦闘に気を向けすぎた。そして終わったと思っていた戦闘に気も緩んだ。
だから、封印を解かれた。
 神子の封印を。

「ふふふ…やあっと外に出・れ・た」

 ゆっくりと収束していく光は、人の形を象っていた。

















050810.
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拾捌 弐拾