拾捌/
「もう少し位は手応えあると思ってたのに…買い被りすぎてたってことっすか?」
子津が拾い上げた札に口付けると、それは端から砂塵となって風に流されていった。
「そのカード…やっぱり転位術Ga仕掛けてあったのKa」
苦々しげに吐く虎鉄に、黒豹は淡々と返す。
「転位術なんて複雑なモンやない。単にわいの霊力を練り込んだだけや」
金の瞳が紅の瞳を見据える。
静かなる対峙。静かに見えてその実、相手の思惑を探るように交わされる視線。
ふ、と片方が瞳を閉じた。
「フゥン…。De、アンタが『黒豹』Kaい?」
「そうや。以後お見知り置きを、とゆうても…もう会うこと無いんやろうけど」
相手は全員殺すのだと――言外に告げている。
「言ってくれるじゃねェKa…!」
轟、と爆発的に膨れあがる霊力。
それは勿論虎鉄のものであるが、黒豹からも膨大な霊力が迸る。
(あの人も…術師!)
前に町で見た、彼。
側に聖霊も見つけたから、きっと大きな力のある術師だろうと。
だけどあの時彼からは何の力も感じなかったのに。
今解放されているであろう霊力は自分を軽く、遙かに凌駕している。
そしてあの札に微かに残っていた霊力も、そういえばこんな感じだったと思い出す。
(…札…)
さ、と全身の血が引いた気がした。
札に微かに残っていた霊力を、彼らはなんと言っていたか。
彼らは、どうやって此処に来たと言おうとしたのか。
(「――やっぱり転位術Ga仕掛けてあったのKa」)
嫌な予感に駆られながらも訊かずにはいられなかった。
「転位術…って…?」
(ああ…くそっ!)
その声に、虎鉄は内心で盛大な舌打ちをした。
ちりちりと互いの霊力が接触して立てる音の中、小さく比乃が問うた。
その声に気が殺がれる。それは向こう側もそうだったようで、互いの霊力の放出が少し弱まった。
(何て言えBa良い…?)
比乃の声にどう答えようか迷う。
方法は二択しか無い。言うか、言わぬか。
否――事実をそのまま直に言うか、真綿にくるんで誤魔化すか、の二択。
比乃は訊ねながらも術の意味に気付いている。顔が僅かに歪んでいるのは、恐らくその所為だ。
それでも敢えて問うたのは、彼に覚悟があるからと考えて良いのだろうか。
(どうすれBa良い)
選択肢は、二つ。誤魔化すか、誤魔化さぬか――
「君が持ってきたカードにな、瞬間的に移動出来る術掛けてあったん。今度のは、霊力を辿っただけやったけど」
しかし考える暇無く黒豹が口を開いた。とてもありがたくないことに。
一度目で解らなければいい。一度目で説明を諦めればいい。
「え…どういう…こと…?」
「比乃Ha知らなくてMo良い!」
「でも…っ」
一度目で諦めて、噛み砕いた説明などしなければいい
…のに。
「だからあの札、扉の役割をしとんのや」
そう言ってにこりと微笑った。
「君が、あれを持ってきた所為で、みんな困ってるんやで」
「僕の――所為?」
どくん、と心臓が鳴る。
先の札。発光。扉。移動。霊力を辿る。僕が、持ってきた、札。
僕が。僕が持ってきた札が。みんなを、困らせた。
今みんなが困っているのは――僕の、所為?
「違う。惑わされるなYo」
はっと我に返る。
いつの間にか膝をついていた躰は酷く硬直していた。
叱咤して、どうにか顔だけ虎鉄の方に向ける。
彼は、まだ前を見据えていた。
「違う。比乃の所為じゃ無いんDa」
違う、ともう一度呟いて。
それでも冷えた心は元に戻らない。深く突き刺さる。
確かに僕の意志で手に入れたわけでは無いけれど。あの、端色の瞳に騙されたのは、僕だから。
「ほな…ぼちぼち神子引き渡してもらおか」
「遠慮するZe」
「そらごもっともですわ。だから、力ずくでも渡してもらいましょ」
黒豹は懐に手を差し入れた瞬間既に腕を振るっていた。
比菜に飛来する幾枚の札。
「比菜――ッ!!」
叫ぶ。
崩れ落ちた際に落としてしまったらしい彼女との距離はほんの僅か。
その距離が酷くもどかしい。自分の動作が遅い。確実に札の方が速く比菜に到達することが判る。
(もう駄目だ…!)
「比菜…っ!!」
手を伸ばして、叫んだ。
しかし、札は何かに阻まれるかのようにはらりと燃え落ちた。
「無理だNa。封印Mo結界Mo…俺の力De強化されてRu。誰にも近づけさせないZe」
彼は何もしていない。只立っていただけ。
言霊さえも唱えていない――唱える必要なく、これだけの力が出せるから。
「へぇ…やっぱり神子の封印は護人と天狗の仕事なんやね」
「お前等に神子は渡さねェYo」
(…神子?)
そういえば先程からしばしば会話に登場する『神子』。
何か、重要な事を話しているのは分かるのに、それが何か、分からない。
「神子って…?」
「…知らんの?」
呟きを耳にしたのは黒豹だった。そして答をくれるのも。
口調だけは酷く優しく、発音はゆっくりと、彼は望んでいた答を言った。
知らない方が、良かったのかもしれないけれど。
「その躰ん中、魔物が居んねん。魔物の銘は『時越えの神子』」
「なに…それ…?」
口の中がからからに渇いていた。
声が、動きが、音が、全てが残酷なほどにゆっくりと進む。
「時越えの神子は膨大な力を持っとんの。世界を変えてしまうよな」
――白と黒の世界の住人は新しい世界に恐れ、互いの力を寄り併せたモノを創りました
「わいはそれが欲しくて此処に来たん。分かった?」
「やはりか…!」
硬直した比乃に構わず、側に居た鹿目が叫び返した。
「お前等は何故この力を欲するのだ…?この力が何も引き起こすか…知らないわけ無い筈なのだ…!」
遠い過去に読んで知った。
昔一度、時越えの神子が解放された事があると、護人の書いた文献にあった。
一瞬にして滅びた国。そして多大なる犠牲を払って封じた一族の事。
(――?)
一瞬訪れた既視感。そうだ。これは。まるで。
――それはまるで、先の話のようではないか。
(な…んだと…?)
違う。そうじゃない!
文献の出来事は史実だ。だからこれは事実であって、しかもその護人は名の知れた、幼い頃少しだけ仕えたことのある人間で。
そうだ、あれは割と最近の出来事である筈だ。そう、高々九百年ほど前の――
「何故か…かァ」
静かな声に、鹿目は下げていた視線を元に戻した。
目があったところで、それを待っていたかのように更に黒豹は続ける。
「理由つう程けったいなもんはあらへんけど…そやな…この世界を壊したいと思ってん」
(世界を、)
世界を壊すのだと、彼は平然と言ってのけた。
「…そんな…間違ってるのだ!それは…!」
「何とでも。君等に分かるもんやない」
簡単に世界を壊すと宣言した彼らに、比乃はぞっとした。
町で会った人の良さそうな青年が。優しそうな風貌の聖霊が。あの、端色の美しい瞳を持った少女が。
彼らが世界を壊したいと本気で願っているのだと知って、恐怖を覚えた。
「…時越えの神子の力は魅力的や。この世界は何もかもが混ざりあって矛盾しすぎとる」
黒豹のぽつりと零した台詞を、子津が引き継いだ。
「僕らはかつて、黒の世界と呼ばれた世界の住人っす」
(黒の世界――!!)
その言葉に瞬時に思い浮かべた、自らを『神の児』と名乗った女性の姿。
遠い遠い昔、ふたつに分かれていた世界。
黒と、白のふたつ。
まるでそれが正当な理由であるかのように子津は語る。
「だからこの世界は見てて吐き気がする。だから破壊を望んでいるんです」
「黒の世界…?」
猪里が呟く。
古株の聖霊である鹿目さえ知らなかったこの昔話。
先の件を知らないはずの彼にとっては当然の疑問な筈だ。
しかしその呟きを聞いた子津は、その言葉に眉を寄せ不快をありありと顔に浮かべた。
「ああ…罪深き灰色の世界の住人は『破壊された世界』については何も覚えていないんすね」
ぎり、と睨まれた瞳に映る激しい憎悪。
直接睨まれたわけではないのに、ぞくりと震える背筋。
汗が垂れ、意味もなく息が切れる。
「混ざり合った世界が導いた混沌の中で、僕らは一時も罪を忘れたことなど無かったのに」
050809.
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