拾漆/
町の外れにひっそりと建つ小屋があった。
小屋の周りには板で出来た高い塀が何重も建っている。
塀にはそれぞれ一ヶ所だけ扉がついていて、普段は硬く閉ざされているそれが、今は開け放たれていた。
いずれも同じように破壊された状態で。
「――解」
何度も繰り返した作業を行う。
そして開けた視界の向こうに、ようやく古びた壁以外の物が見えた。
その小屋の戸にはたくさんの、破かれた古い札が貼り付いている。
昔は結界の役割を担っていたという、高名な術師の貼った術符だそうだ。
「檜」
軽い音を立てて開いた入り口から中を覗き込む。
室内に窓は一切無く、太陽の照る昼に関わらず中は暗い。
端の方に探していた人影を見つけると、黒豹は勝手知ったる様子で中に踏み込んだ。
ぎしり。床板が鳴った。
「檜、何しとんの。相変わらず暗いなあ」
「余計なお世話…かも」
膝を抱えて座り込む檜の前に膝を突き、顔を近づけた。
至近距離で、端色の瞳に問いかける。
まるで嘘は許さないというように。
「渡した?」
「渡してきた…ちゃんと」
「そう」
期待通りの返事ににんまりと笑う。
それから良くやったというように、くしゃりと乱暴に髪を撫でた。
「ほなぼちぼち行きましょか。準備は万全やな?」
立ち上がった黒豹の言葉に、子津が少しの間もあけず返答する。
「覚悟なら、とうにできてるっす」
――そう。貴方のためになら、消滅の覚悟だって。
「――『黒豹』と『子津』?」
「はい。そう互いに呼んどったとです。恐らく本名ですたい」
山の中腹に、密集した木々によって隠されるように、一つの社があった。
三方が注連縄で囲われ、一方は上部に注連縄を掛けた赤い鳥居が存在している。
厳重に張られた結界の入り口である鳥居の前に、鹿目と猪里が居た。
「彼らについてまだなんも…」
「…あれを狙っているということだけか」
「逃げたのが御山の外ですけん、追いきれんかった。すみません」
「いや…分かっただけでも良いのだ。予定より随分早いが…仕方ないな」
眉を寄せ、鹿目はそれほど大きくはない鳥居を見上げる。
二人は結界を解くために此処へ来た。
中に居る比菜を運び出す必要が出来たから、必要の無くなった結界を解く。
この結界は、最初に張ったときに比乃だけを通すよう定義させた。
つまりこれが結界として存在する限り、部外者は勿論、聖霊である彼らは中に踏み込むことは出来ない。
鹿目が手に握った鞘からすらりと一振りの刀を抜いた。
真っ赤に染め上げられた一点の曇りもない刀身が、光を反射して輝く。
鋭い切っ先を結界に向け、静かに言霊を紡いだ。
「四辺の壁・四辺の盾・四辺の力 西方は颱風・北方は旋風・東方は微風・南方は無風」
「――霊力・解放」
ぷつりと真二つに注連縄が斬れ、地に落ちた。
刀を鞘に納めると、鹿目は呆れた目線を後ろに遣って、喋った。
「…虎鉄。居るのだろう」
ある一つの樹に視線を固定し、出てくるのを待つ。
少し経って、ようやく姿を現した虎鉄は特に驚いた様子もなく、飄々と言葉を発した。
「…気付いてTa?」
「気付かない筈が無いのだ!おまえみたいなのがうろうろしてたら…!」
当然のように声を荒らげる。
――彼は二人がこの場所に辿り着いた直後に来た。
勿論、彼が此処に来た時点で鹿目も猪里も気付いていたが、途中で出てくるだろうと放っていたのだ。
結局声を掛けるまで出てこなかったが。
「…お前がやればいいのだ、解除など」
本人の掛けた封印なのだから、本人が解けばいいと言う。
そんな鹿目に対して肩を竦めるとおどけたように言葉を返した。
「今ンところ無理ですYo…只でさえ神子No封印に力使ってるのNi」
「ああ――」
そうだったと心外そうに零す。
「出してから、効果はどれくらいなのだ?」
「俺が集中Wo神子に向けてれBa、何時までも」
先代の護人の全ての霊力をもってしても封印まで至らなかった。その上時間が経って、その霊力も衰えている。
また、御山の力は一定の場所に留まっている時にしか適用されない。
当時護人と富士と天狗によって掛けられた封印だが、実質封印の効力を保っているのは天狗である虎鉄一人になる。
「万一戦闘になったRa…鹿目サンTo猪里に任せますYo」
「分かったのだ。ところで…比乃は?」
一応問いかけの形を取っているが、これは殆ど確認である。
彼の周囲に、連れてくるはずの少年の影が無かったからだ。
虎鉄は鹿目の問いにばつの悪そうな表情を浮かべる。
「連れてこようとは思ったんだけDo、あんまり歩くの遅いかRa……通り道に…」
「…貴様…馬鹿じゃないのか?」
言い訳をする虎鉄を一蹴してやった。
対する虎鉄は少し不満そうだが、どこか苦笑の色合いも見える。
「分かってますYo…今一番危ないのHa比乃でショ?」
「だったら!」
「流石に奴等だっTe、あれかRa少ししか経っていないのNi来るわけないだRo?」
奴等は計画の途中で猪里に見付かったはずだ。
ならば次は用心して暫く経ってから来るだろうと見越したから置いてきた。
完全に懸念が薄らいだわけではないが。
「大丈夫ですっTe」
「虎鉄の大丈夫は安心できなか…」
「あ、酷ェYo猪里!」
「比菜…!」
虎鉄に暫く待っていろと言われ立っていた場所に、ようやく待ち人が来た。
比菜は眠っているのか、目を閉じて鹿目に抱えられていた。
「負ぶうなり抱きかかえるなりさっさとするのだ。急げ」
「あ…うん」
比菜を受け取って背負う。
同じ年代の子供より随分と小さく、軽い躰だった。
「少し揺れるけど…我慢してね」
大丈夫、もう少しだけ。もう少しで困難は打開されるのだから。
少女の言葉を思い出し、比菜から離した左手を着物に添える。
札がかさりと音を立てた。
「比乃…」
ハッと振り返り、虎鉄が比乃を睨む。
「…?」
「コレ…何処かRa持ってきTa!」
懐からするりと抜き取られた何か。
虎鉄の手にするものに目を遣ると、見覚えのある華美な柄が描かれた札。
端色の瞳をした少女の持っていた、あの札。
「えっとそれ、は…?」
掲げる札は淡く光っていた。その光に混じり、目に視えるほどの禍々しい霊力が漏れていた。
光は僅かに明滅しながら段々と光量を増やす。
光が強くなるにつれ、札を取り巻く力も一層強くなる。
(やっぱりあれKa…!)
ああ、拙い。予想は大いに外れた。
「チッ…遅かったか――猪里!」
舌打ちと共に、腕に反動をつけ勢いよく振るった。
厚さのある札は綺麗な直線を描いて猪里の元へ。
「一片の水の欠片 切り裂くは氷海の矛――!」
猪里が飛び来る札に手を翳し、言霊を詠唱した。
言霊に従って、腕を取り巻いていた水の流れが幾筋もの刃となり、札に殺到する。
「…!?」
突然、札から膨大な霊力が弾けるように放出した。
霊力に押され、殺到していた全ての水の刃がいとも簡単に、跳ね返された。
「…霊峰の聖霊がこの程度なら、随分と拍子抜けだ」
ひらりと舞い落ちた札を屈んで優雅に手に取る。
子津と黒豹と檜が、そこに忽然と現れた。
050702.
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