拾伍/



「本当に大丈夫?そこまで送ってあげようか?」
「ううん、平気だよ。一人で行けるし…迎えが来るんだ」
 診療所の入り口に比乃と録が居た。
 今住んでいるところまで送っていくという申し出を断るが、心配そうな録を見ると居たたまれなくなる。
「そんなに遠い所じゃないし」
 だから嘘をつく。
 ――録はきっとこれが嘘だと気付いている。
けれども言わないでいてくれる。言っても無駄だと知っているから。
「そっか…偶には、遊びに来て。比菜も一緒に来て」
「うん。ありがとう先生」
「それじゃあまたね」
「うん…」
 録に向かってひらひらと手を振った。
 もうきっと会うことは出来ないから、またねという言葉にどう返して良いか分からず、曖昧なままの別れになってしまった。
 それでも、立ち止まらない。立ち止まれないから。
「ありがとう先生」
 一言だけ小さく呟き、歩く速度を速めた。













































 ざわり。
「…?」
 日常の騒がしさの中に、違う喧噪が混じる。
筵の並ぶ市通りから一歩外に外れたところだった。
 気になって少し覗き込む。有り触れた喧嘩か見せ物か、それとも賭け事か。
「え…」
 しかし予想に反して人垣の中心にいたのは、紫がかった青色で緩やかに波打つ髪を持つ少女だった。
比乃と変わらない年頃の少女だ。その小さな腕には人形が抱かれている。
 迷子だろうか、と周りを見れば様子がおかしいことに気付く。皆、顔が恐怖に歪んでいる。
 と、その中の一人が震える指先を少女に向け、叫んだ。

「時待人だ…!」

 ざわり、喧噪が異質な音に変わる。
「嘘…時待人だって?」
「こっちに寄るな化け物!町中に現れるとは何事だ!」
「変な術を使ったんだ!此処に突然現れた!」
「縛れ!そんなもの島に流してしまえ!」
「そうだ!殺せ!」
「殺せ!」
 穏和なこの町の人々が口々に少女を罵る言葉を吐いている。たった一人の、少女に向かって。
「時待人…」
 誰かの叫んだその単語を反芻する。
 時待人とは夢見人と対をなす存在で、あらゆる厄災を招く者であり、 また人々をその厄災からその身をもって守るための生け贄だ。
故に時待人は町中から忌み嫌われ、人々から隔離された小屋に生涯幽閉される。
 その時待人が何故か町に居るのだ。それのどんなに怖ろしいことか!
(でも…あの子はまだ小さな女の子じゃないか)
 時待人の象徴である人ならざる者の持つ髪の色だからといって、まだ只の少女なのに。
 掌を握りしめる。この世界は何処までも不平等だ。

 ――許せない。

「そんなこと…!」
「あなた…とても大きな力が取り巻いてる…かも」
 掻き分けた人垣を飛び出し叫ぼうとした比乃を遮り、鈴のような声が耳に届く。
声のした方を見れば、先程の少女が此方を見ていた。
「君は…」
「THE CHARIOT」
 その端色の瞳をした少女は、いつのまにか手に持っていた札を一枚めくり、聞き慣れない言葉を口にした。
「ざ…?」
「戦車。奮闘、困難の打開、積極的な姿勢…貴方自身の気持ちや行動が、状況を打開する力になる…かも」
 その札を此方に提示したまま、すらすらと喋り出す。
 冒頭の語はやはり聴いたことのない言葉だったから、これは異国の占術だろうか。
「せん…しゃ…?」
「只、少しの違いで…失敗や困難、障害を生み出すでしょう。気を付けて…かも」
「え…どういう――」
 りん、と小さな鈴の音が響いたかと思うと、彼女の姿は消えていた。
 此方の言葉には耳も貸さず、言うだけ言って何処かへ消えた少女。
 ほう、と息を吐く。
気付かぬ内に強張っていた肩から力を抜き、思う。
 まるで幻のようで。少女は異国の本に出てくるあの生き物のようで。

 ――瞬きの瞬間に消えた事に驚いたのは、何も比乃だけではない。
「おい小僧…大丈夫なのか…?」
「え?」
 周りにいた群衆は、比乃が視線を遣ればひくりと息を止める。
先程と似たような表情を浮かべた大人達は、解せぬ顔を浮かべる比乃に恐る恐る尋ねた。
「…奴に、何か術を掛けられたんじゃあないのか?」
「術、」
「何かお告げをされたんだろう?大丈夫か?」
 ああ――。
(なんで、なんで…!)
 違う、違うだろう。
 彼女は只、僕に占術の結果を教えてくれただけだ。
決して術を掛けたわけではない、と思う。確証を持って言える事ではないけれど。
 あの端色の澄んだ瞳を見て、どうしてそんな事を言えるのか。
 どうして、何かしたわけでもないあの少女を悪者扱いする?
(大人は、許せない)
「お告げはされたけど…大丈夫。お告げは良いことだったし」
 これは本当だ。
 奮闘、困難の打開、自分の力で問題を解決できる――彼女はそう言った。
それは比菜に関することに違いない。それしか僕の抱えている問題は無いのだから。
 ならそれは『良いこと』だ。
「そうか…でも気を付けなさい」
 話しかけてきた大人は、頭をくしゃりと撫でて離れていった。
 仄かに残る掌の体温。

「でも本当に大丈夫かしら…?」
「あの時待人が出てきたんだ…何か起こるに違いないよ」
「また…?この前も地震があったのに!」

 何人もの不安に揺れた声を聞きながら、そっと場を離れた。

















050521.
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