拾弐/
「やっぱ活気のある町ってのはちゃうモンやなぁー」
その男は朝市のたつ路地の一番端にある店の前に居た。
店主は男に気付き、いつも客にそうするように声を掛けた。
「いらっしゃい!聞き慣れない言葉だが、此処の人じゃ無いだろう」
「せや、京の方の出身やで」
「はぁ京の!そりゃ良く来たねぇ、遠かったろ?」
「そないでも無かったで?」
にっこりと人の良さそうな笑みを浮かべて男は言った。
店主はそれを気にせずに凄いねぇ、などと賞賛の言葉を浮かべている。
京の都はこの世界の聖地ともいえる場所だからだ。この名には、それだけで賞賛に値する力がある。
朝の賑やかな喧噪に顔を上げ、男は暫くの間路地を見た。
男は、一つ聞きたいことがあんねんけどと言葉を発し、またも店主の驚く台詞を言った。
「なぁおばちゃん、富士の麓行くにはどないして行けばええの?」
「富士の御山に行くのかい?この時期はやめといた方が良いと思うよ、おっかないから」
冬の初め頃は、山の麓の樹海周辺には深い霧が立ちこめる。
いくら道があるといっても、霧の所為で足下すら見えない状況では、存在する意味もない。
それに、これはこの町では暗黙の了解であるが、山には供物を捧げる以外にあまり踏み込んではならないのだ。
御山の護人様がお怒りになられるから。
けれどこの男は先程京から来たと言っていた。
なら知らなくて当然だろうと思ったのか、店主はそれを伝えようとしたのだが、男はそんな心配も余所に言葉を続ける。
「あぁ、それなら心配いらへん。わいには無敵の守護があるかいな」
無敵の守護。
それは何か策があるということなのだろうか。
護人様のお怒りに触れるのは許し難い事だが、守護がつくのなら、彼は神の使いに違いない。
神の使いならば、神聖な御山に入っても罰は当たらないかもしれない。
「で、どこなんや?」
「仕方ないねぇ…。そこから町外れまで行くと祠があるから、そこから森に入ってく道を行くと良い。
ちゃんと祠にお参りしてくんだよ、お怒りを買わないように」
「そやねぇ、無駄な時間費やしたか無いからなぁ」
笑いながらありがとうと言って、男は教えられた方向へ歩いていった。
そして店主はいつもどおりに他の客に話しかける。
「で、どうだったんすか?」
市の立つ大路から一歩外れただけで、喧噪が遠くに聞こえる。
黒豹一銭は横から突然現れた声に、驚く様子もなく返事を返した。
「簡単に口割ってくれたで。いくら護人の守護圏内やったとしても、町の人間まで操作は出来んやろ」
目の前には店主から聞いた通りに古ぼけた祠があった。
此処に来るまで常に気を張って歩いていたが、予想していたような妨害は全くなかった。
つまり護人は自分たちの意図に気付いていない。
(思ったより護人てぇのは力の無い奴なんやな)
歩いていた足を止め、黒豹は足下の小石を拾う。
「さて、此処まで来たんは良いねんけど…普通に開けたらバレるやろ」
誰に聞かすでもなく喋りながら、小石を右手でこね回すように弄ぶ。
傍らに居た少年が、その動作をを見ながら呆れたようにため息を吐いた。
「もう嫌っすねぇ…あなた何のために僕が付いてきたと思ってるんすか?」
「ふん、分かってるさかい口出さんといてぇな。今からやったるかいな」
小石を嫌がらせにと少年に向けて弾くが、相手はそれを予測してたかのように僅かに躰を傾けるだけで簡単に避けた。
その結果を知っていたのか、或いは興味が無いのか、黒豹はそちらには目もくれず、
立式のために指を組んで目の前の祠に精神を集中し始める。
流れ出すのは、精霊術師の使う言霊とは違うもの。
「降り注げ水沫 流れよ水神 我はこの地を支配する」
「降り注げ水沫 流れよ精霊 高潤は雨を望む」
さ、と一瞬にしてまだそう高くもない陽が翳った。
そうして数える程も時間を空けずに、ぽつりぽつりと地面に黒いシミが出来てゆく。
数瞬の内にそれは大雨になった。
雨の滴が髪から垂れる程の量になって、ようやく黒豹は顔をあげた。
「今日も好調やわ〜。はよ侵入しましょ」
「黒豹さん。これ、どうするっすか」
進もうとする黒豹を止め彼が指したのは、いつまでも変わらずに、町人の道標のためにある祠。変わらずにある筈だった祠。
「どうしよか。邪魔やし…」
「壊して良いっすよね?邪魔ですから」
にっこりと笑って、返事を待たずに離れた位置から腕を振るう。
ごとり、とふいに現れた水の柱によって祠は真ん中から真っ二つに切断された。
「ご苦労様で」
「どうもっす」
「ほな行こか。迷子にならんでな、子津」
「馬鹿にしてるんすか」
そうして彼らは森の中に入っていった。
050107.
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