A lot. act.9
小さなノックの音で、微睡んでいた意識が浮上する。
「ブランチ出来ましたけど……起きてますか?」
「ああ、起きてRu」
ベッドから這い出して、軽く服を整えるとドアを開けた。
ドアの横には少女が立っていて、おはようございます、と丁寧な挨拶をくれた。
「おはよ、凪」
「兄が話があると言ってましたよ。珍しく早く起きてました」
「Ahー……」
「ふふっ……今日はいつもと反対ですね」
今俺は、この少女とその兄が暮らす小さなログハウスに居候させてもらっている。
一階にはキッチンとリビングダイニング、バス、トイレ。二階に三部屋とゲストルームがひとつあるだけの、小さな。
ラボの外に出て初めて知ったことがあった。戦争が既に八年前に終わっていたことだ。
必死になってACAを研究していた頃には既に、戦争が終わって六年経っていた。
道理であの覗き込んだ小さな窓越しにいつも青空が広がっていたわけだ。火災や爆発など、遠のいてから久しいのだから。
正直、かなりショックだった。
ACAは当然兵器として作られていたわけだし、ラボを取り囲む山の向こうではいつも戦闘が起きていると、常に恐々していた。
何もない山の向こうに恐怖を抱いていたのかと思うと、本当に馬鹿みたいな話だと思う。
何故戦争が終わって六年も経っていたのに兵器を作り続けていたのだろうか。
否、兵器であるACAは既に製造されていなかった。そうだ、最後に作成していたRシリーズも、結局完成しなかった。
では何故内部の人間には兵器を作り続けているという、戦争は続いているという、ポーズをとっていたのだろう。
今となってはそれも全てが謎だが、まあ、知りたいとも思えない。およそ正気の沙汰とは思えないような理由だろうから。
当然、研究所の爆破はニュースになった。
ニュースでは棟長何名かを筆頭に、副棟長以下全ての研究員が焼死、奇跡的に生き残ったのは僅か数名と発表されていた。
その炎上した研究所は政府の新たな移動手段を開発するための研究所であり、
部品加工に使用する火器が誤って作動してしまったのではないかと言われているらしい。
―――その内容に反吐が出そうだった。何が「不幸なことに」だと鼻で笑った。乾いた笑いにしかならなかった。
「おはよー」
食卓には居なかった凪の兄、剣菱が、食べ終わった頃にタイミング良く顔を出した。
「おはようございまSu。あ、用事って何ですKa?」
「そうそう!びみょ〜に君の知識を借りたいんだけどさー」
「いいっすけDo……あんまり役にHa……」
彼はどうやら見る限りではプログラミングの仕事をしているようだった。
食事以外の殆どは部屋に籠もりきりで詳しくは判らないが、電話口でそういった関連の言葉が良く出てくる。
同業者だったからその内容の難易度が解るのだが、相当凄いものをよく作ったことがあるらしく、また作っているらしい。
凪はおおまかにしか話を聞いていないようだった。
同業、といってもやはり彼の方がセンスも良いし組み立てが速い。確実に格上である。
だから一応彼には自分も同じ事をやっていたとは言っているが、見ている限り自分の出る幕は無かった。
(剣菱は居候という他人の立場だということを気にしていないらしく、その点で遠慮されているといったことは無いと思われる。)
立ちませんよ、という意味を込めて言葉を濁すも、剣菱は笑ってはっきりと言い切った。
「その辺は大丈夫だよ〜」
自信の根拠はどこから出てくるのだろうと眉を顰めるが。
「なんせ、君の昔作ったっていうプログラムだからね」
「……え?」
「来てくれれば、解るよ」
そう言って連れて行かれた彼の部屋で、またも瞠目することになる。
「どうしてもここだけびみょ〜に復元できなくて……覚えてる、だろう?」
そのデータには見覚えがあった、どころかとても良く覚えている。
眠気覚ましのブラックコーヒー。空になったマグ。エアコンディショナーのついていない通路。コンピュータの電源。
そして―――最近剣菱が完成させた新しいプログラム。弾力性を持ちながら硬化も可能な素材。
角質を真似たチップに搭載する神経信号データ。
どれも今では実現している技術―――しかし二年前には実現していなかった技術だ。
「自己増殖型再生細胞……?なんで、此処Ni……?」
「ちょっとね、偶々見つけたんだ。興味深いデータだったから復元してみたんだ〜」
どうぞと言われて腰掛けたチェアは、あの頃とは比べものにならない程上質だ。
陽が淡く差し込んでくる明るい部屋、後から来た凪が置いてくれた暖かいミルクティー、適度に空調の効いた部屋。
どれもこれも全く違うのに、違うからこそ、鮮明に思い出される記憶。懐かしい、あの頃。
「勝手に名前つけちゃったんだ。ごめんね〜」
「構いませんYo……」
二年経ってもプログラムの手順はまだちゃんと覚えていた。
幸い、抜けていたプログラムは当時既に完成していたものだったため、迷うことなく打ち込むことが出来た。
「これ、完成したら君の特許なんだけどさ〜」
頭を掻く彼は少しだけ困惑の表情を浮かべる。それに首を傾げながら、彼の言葉を訂正しようとして、止めた。
ここまで完成できたのは剣菱のお陰なのだから、自分のというのは間違いではないかと思ったが、まあそれは後で良いだろう。
話す時間はまだたっぷりあるのだ。
「何か……問題でもあるんすKa?」
「うん、売って欲しいっていう人が居るんだよね〜。大きな研究施設なんだけど……」
ふうんと適当に相槌を打って、やはり先程の意見を言った方が良いなと切り返す。
「いえ……剣菱さんGa完成させたデータですかRa、剣菱さんGa決めて下さいYo」
「そう?じゃあ要求した売買金額の五割は君のものってことでどう〜?」
(なんDa、もう売る気満々だったのかYo……)
売る売らないでは無く、幾らで売るかを決めろ、ということだったらしい。
「じゃ三割ぐらいDe良いっすYo!」
「ぼったくる気満々だから……違いは大きいよ〜?」
軽く一兆の差はつくかもよと笑う剣菱に、呆れたという目を向ける。
「……それ、やりすぎですよ」
「それぐらいの価値はあるんだよ、これ」
それはそうだろう。深いところまでは流石に分からないが、今でもこの類のプログラムが完成したという報告は聞かない。
当時は(勿論現在でもそう思うが)これは傑作だと今までにないほど興奮したのだ。皆に触れ回って歩こうかと思ったぐらいだ。
ただそれを他人に言われると、しかもデータの七割近くを他人が作ったのだと考えれば、逆に冷静になってしまう。
(第一、それNo存在すら忘れてたしNaァ)
元々研究所内での仕事だったから金銭は絡まないし、命辛々逃げてきたときから今まで、そんなものの存在すら忘れていたのだ。
もし剣菱が何も言わなかったら、ただで配布していたかもしれない。いや、それは勿体ないか。
「ただいまーっ」
唯一リビングにだけ存在する固定電話を使用するため出ていった剣菱が部屋に帰ってきた。
値段交渉が予想より上手くいったのか、データをディスクに落としながら、楽しげに値段を報告してくれた。
その数字に軽く目眩を覚えたのは、いうまでもない。
「連絡したら、研究施設の人が取りに来るって〜」
「はあ」
「虎鉄君も一緒にお出迎えしようよ。いつもの人じゃ無いみたいなんだ〜」
「Ah、あの兄弟じゃないんすKa?」
「そうみたいだ」
世間話や時折プログラミングの話を混ぜながら会話を続けていると、ピーンポーン、と間抜けなインターホンが鳴った。
壁に掛かるアナログ時計を見上げれば、予定時間より少し早めなようだ。
とはいっても忙しいわけでも無しに、時間まで待ったりとか追い返したりなどしない。
「研究所の者ですが……」
「はいはいびみょ〜に待っててねー」
剣菱が足取りも軽く、一階部は1DKのためリビングから直接繋がる玄関へ向かう。
やはりアナログなそれのノブを回せば、がちゃりとドアが開いた。ソファの背もたれに肘を乗せて、音の方へ振り返る。
「Ah―――……」
ああ、神様。
この奇蹟は、思ってもみなかった。
また、逢えるなんて。
「はじめ……まして。総合研究社の、猪里猛臣と申します」
また、彼に逢えるなんて。本当に、思ってもみなかったから。
―――まだ、魔法は解けてなかったよ。