10月を過ぎた頃、午後六時の空は既に闇に包まれる。
「朱牡丹先輩って」
「なに?いきなりどうした気?」








   月灯りでワルツ








 それはまだ、5月の始めの頃の話だ。
 最初に話しかけてきたのは彼の方からだった。
「誕生日いつっスか?」
「…はァ?何で?」
 何の脈絡もなく問われた質問に不審気な調子を混ぜた疑問を返す。
それを気にした様子もなく肩を竦めて御柳は言う。
「いや、なんとなく」
 人の誕生日覚えンの好きなんスよ、と付け加えて。
 変な奴。何処までが本気かはまるで分からなかったから。
「8月3日…」
「8月ねェ…朱牡丹先輩っぽいっスね」
 にッと笑う。
いつもみたいな意地の悪い笑みでは無く、もっと純粋な、子供の様な笑みを浮かべて。
 よく言われることだったし、自分でもそう思う。
「そう?あ、ミヤは?」
 訊かれたから、なんとなく訊き返した言葉。
「俺っスか…?」
「そう、ミヤの」
 単純に訊かれたから礼儀として訊き返した。
それに御柳は少し驚いたような表情を浮かべ、しかし次の瞬間にはきれいに消し去る。
 少しだけ躊躇った後に口を開いた。
「10月、10月4日っスよ」
「ふぅん。覚えといてあげる気〜」
 ぱちん、と携帯を開いて手慣れた手つきで数字を打ち込んでいく。
一応訊いたから礼儀として。それにこれから二年付き合わなくちゃいけない相手だし、と頭に浮かべる。
 思考の全てを支配される間も無く、それはすぐに他の声によって妨げられた。
「練習始めるぞ!御柳、録、早く来い!」
「わッ!済みません気!今行きます!」
「うぃース」
 二人それぞれ屑桐さんに返事を返し、グランドを走った。
 会話の折りに少し出てきただけの話題。
だからその時は、それまで。記憶の底に引っかかる程度だったはずの。











































 暗い部屋の中、青白い液晶ディスプレイに浮かぶ10月3日PM11:50の文字。
 ――あの時とは少し違った。
ぱちん、と携帯を開き4日のスケジュールを見れば、メモには『ミヤの誕生日』。
 間違えようもなくあいつの誕生日だった。



 御柳は大切な後輩だ。部活ではとても戦力になる、重要な。
だがそれだけでは無いことを――俺は自分で気付いている。
触れられるたびに沸き上がる、むず痒いような感情を無視できる程大人じゃない。
 いい加減、気付いた。
 きっと御柳は俺がどう思ってるかを知らない。
だからもしこの感情を吐露したとして、受け入れてくれる可能性なんてゼロに近い。
 嫌われるだろうか、とも考える。



「はぁ…」
 どうしようか。
 大体の親しいメル友には、12時丁度にメールを送った。
今日もそのつもりで12時超えるまでベッドの上で待っているのだが。
 けれど、どうしてもミヤの時は違う事をしたい、そういう気持ちがあるのは確かで。
 幾度も作成したメールはその度にリセットされている。
 ぴ、とボタンを押して陳腐な言葉が羅列された画面が待ち受けに変わる。再び、リセット。
「――…俺らしくない気…」
 携帯を握りしめている手を緩めて、いつの間にか詰めていた息を吐き出す。
 悩むのは性に合わないんだ。俺らしくなんて無い。



 携帯を閉じてベッドから飛び上がり、横にひっかけてあった靴を履いて窓を開けた。
 二階の窓から吹き込む風は、昼より数倍冷たさを増している。
飛び降りるのは造作も無いことで、音をたてないようにふわりと着地し、鍛えた足で走り出す。
ぱちんッと勢い良く再び携帯を開き、メモリから番号を呼び出す。
 走りながら目的の家までの道のりをシュミレートする。到着にはジャスト1分。
 横目に確認したディスプレイでは、58分を少し過ぎていた。











































 5回目のコール音で切り替わった。
 微量のノイズに混じって聴こえ始める声。
『録先輩…?』
「ミ…ミヤ」
 目の前に建つ高層マンション。電話の相手が居るであろう辺りを見上げた。
 息を整える間も惜しい程なのに、やけにゆっくり響く御柳の声。
『なんか随分息が乱れてるじゃないスか、』
「そんなのどうでもいい気だから…!ミヤの…部屋のベランダ、外に…」
『どうしたン』
「早く!」
 小さな音を立てて、デジタルの腕時計がカウントダウンを始めた。
『出たっスよ』
 疑問の声に僅かに風の音が混じるのを聴き取る。
 それと同時に文字盤が残り5秒を示した。4…3…。
「下見て欲しい気」



 2…1――…



『下?…あ』



 ――ゼロ。



「誕生日オメデト、ミヤ」
 腕時計から、カウント時よりも大きめの電子音が響く。幸い会話の邪魔にはならない程度に小さかったが。
『…!あぁ…覚えててくれたんスか』
 多少の驚きの込められた口調が、少しだけ胸を刺す。
 数瞬だけ間を空けて、再度口を開いた。
「うん。あと…それから、もうひとつ言いたいことがあるんだけど」
 そこで、伝えるつもりは無かったのに勝手に出てきた言葉を切り、目線を下げ、目を閉じて深呼吸を一つ。
息を吐き終わった後、ゆっくりと目を開けて、30メートル上の人影を見る。
「好き…大好きだから…」
 遠すぎて、どんな表情か判らないけれど。



『ミヤのことが、スキ』



「…録センパッ――」
 プツッ、と通話の終了を示す音を発する。
 ベランダから見える、走って離れていく人影。
 携帯からは、やけに大きく聞こえる機械音が続く。まだ切ることが出来ない。
「クソッ…!」
 無理矢理閉じた携帯を強く握り締める。軋んだ、音。



 ―――諦めると決めていたんだ。
彼の視線がどうあっても自分の方に向かないと分かっていたから、だから諦めた。
 言いかけた言葉は何度も飲み込んだ。未だに口に出来なかった。
 拒絶されると、思ったから。
 それなのに、どうして…どうしてアンタは。
「誘い文句だって決めてたンすけどね…」
 ぱち、と静かに携帯を開きいくつかの動作を行う。
 数回の呼び出し音で繋がった向こう側へ、



「俺なんかで良けりゃ、一緒にダンスでも?」







機械越しの声にひどく安堵する。








041005. Happy birthday,Bakara!
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