afire with strange encounter








 正直に言ってそれはあまり美しいと形容できるものでは到底なく、 いっそ雑草の類だと言われたほうがよほどしっくり嵌まったようにも思う。 だが実際に口に出してそう言わなかったのはそれを持ってきた彼の動機ゆえであり、 そしてまたその姿がどこかあの枯れてしまった白い花を彷彿とさせるからだと、自分でもよくわかっていた。



 
* * *




 あれから随分経ったような気も、或いは三日と空いていないような気もした。

 時間の経過に疎いのは元からだったが、(普通の人間とは時間に対する感じ方が違うせいでもあったし、 覚えている限り、それはつまり推測が正しければこの屋敷に来てから、“外”を感じる機会が少ないせいでもある、) 最近はそれが特に顕著なのだ。
 毎日の時間を知らせるものはある。しかしそれは書庫で聴くメイドのランチやディナーを促す声であったり 騎士団兵の巡回に伴って鳴り響く甲冑の音であったり、まさしく事務的で定期的で日々代わり映えのしないものばかりで、 まるで出口のない鏡張りの迷路を延々と歩いているように一日の境界が曖昧になってしまうものだった。 忘却の少ないこの身であっても目立った出来事がなければ容易に記憶の奥底に埋没してしまう。

 最近、というのはあの花が枯れてから、という意味だ。

 その頃毎日が鮮明だったのはあの花を見に行くことを日課にしていたからであり、 同時にいつ枯れてしまうのだろうと恟々としながら カレンダーを眺めていたからである。しかし一番明確にしていたのは書庫の一向に捗らない植物図鑑漁りであって、 つまり最近になってそれを止めてしまってから、時間の経過というものに疎くなってしまったのだ。 相変わらず進みの遅い書架の整理は続けていたが、 もう用のなくなった図鑑類に関しては手に取りはしても結局開くことはなかった。 元々植物図鑑など一屋敷に数えるほどあるわけがなく見かけるのもせいぜい一二冊にすぎない。 けれども、(勿論これはただの錯覚だとわかってはいるけれど、)あの白が咲いていた頃よりずっと頻繁に ぐっと短い時間にそれらを見つけているような気すらして―――現金な話だが、段々と辟易とさえしてくるのだった。 当然、本を漁るスピードも落ちていく。

 そしてとうとう三冊目が見つかったその日、瞬間に襲ったあまりの不快感についに書架の整理までも打ち止めてしまった。 取り落とした図鑑と乱雑に積み上げられた分厚い本の山を見て急に襲った閉塞感に、 息が詰まって転げるようにその暗い部屋から飛び出した。



 




 無意識とは恐ろしいもので気がつけばあの花の咲いていた場所に通じるガラス戸の前にいた。 外に出たとして、しかしもうそこには花どころか根っこや茎の残骸すら残ってはいないというのに。 それらはある日忽然と、魔法にでも掛かったように消えていた。 或いはそれが長い時間が経過したことの証左だったのかもしれなかったが、真実は知らないし確かめるつもりもなかった。
 ガラス戸に据え付けられた真鍮のノブに手をかけながらそれを押し開こうか手を放すべきか逡巡しているうちに 廊下の向こう側からメイドが歩き寄って来て慇懃に頭を下げた。先ず敬称つきで名前を呼ばれたのにくすぐったく、 そして少々欝陶しく思いながら応える。彼女は主が呼んでいるから書斎に行くように、 とそれだけ伝えてくると再び腰を折って静々と去っていった。
 ノブから手を放す。図ったようなタイミングで現れた彼女にまるで(被害妄想も甚だしいことだが) そこへ立ち入ることを咎められたような気分になって衝動的に床を蹴りつけた。蹴った足先は深紅の絨毯に埋まり、 半端に晴れなかった鬱憤はもやもやと変に溜まり続ける。 どうにも払拭し得ない鬱屈した思いを吐き出すつもりでひとつ深い溜め息を吐いてから、 他に行く場所も無かったので渋々書斎へと足を向けた。



 
* * *




 そして書斎に入るなり、そこの主たる男は無造作にその物体を執務机に放ったのだった。 一見してあまり美しいと形容できるものでは到底なく、花とも思えないそれを。

「なんだ?それ……」
「珍しい白い花があるというから持ってこさせた。……違ったけどな」

 書類を横目につまらなさそうに鼻を鳴らした男の言葉は淡々と紡がれているように聞こえてその実、 花を見つめる彼の表情には僅かばかりの落胆が滲み出ていた。確かにあのちいさくけれども力強く美しく咲いていた 白い花とそれは似ていなかった。枯れたように赤茶けた茎の先にちいさく白い綿のようなものがくっついている、 ただそれだけだった。
 それを手に取って眺めながらふと、もしかしたら彼は彼が言うよりもずっと真剣に、 この―――あの花かもしれなかった白い花を探していたのかもしれないと思った。 そうさせた引き金が自惚れても良いなら自分の行動かもしれない、とも。 (そう思わせるぐらいには彼は普段から色々と気にかけてくれていたし、 枯れた日のあと一度だけあの花についても僅かに会話を交わした。)しかし例えそうであったとしても、 彼はお前には関係ないとか自分の好奇心だとか言って誤魔化すに違いなかった。 名より実を取る主義の癖して体面だなんだと言い訳がましく並べ立て、 隠し切れてない隠し事を正直に話そうとしないことは度々あったからだ。

「……わざわざ取り寄せたのか」
「興味深かったからな」
(はは……やっぱり)

 予想通りの返答に思わず顔を緩めるとプロイセンが怪訝そうに眉を寄せたので慌てて色を正してそれで、と続きを促した。

「なんて名前なんだ?」
「竹、というらしい。東国一帯に群生している植物だ」
「竹……初めて聞いた」
「ああ、ここいらにはないらしいからな。それに普通は緑の棒みたいな樹だ」

 そう言ってプロイセンが執務机に置いたのは緑色の太い筒だった。それが“普通”の竹なのだろう、 机上で硬質な音を立てたそれはまるで先ほどの花と同じものには見えなかった。もうひとつ、 彼が手渡してきた紙には灰色一色で描かれた大きな動物と複数の太い線――― 東国もとい清の絵師が描いた竹の水墨画があった。乱立している針葉樹林のようで、 それにしては樹木と言うほど頑強そうにも見えず、節のついた太めのポールが幾本も突き刺さっている林のようなもの、 というのがその絵の最初の印象だ。初めて見るその植物の不思議な光景に、ぶわりと興味が湧き出てくる。
 不覚にも少し前まで熱心に漁っていた植物図鑑はあの白い花に夢中で実は他の項目にはほとんど目を通していない。 もしかしたらその中に載っていたのかもしれないが、当然記憶になんてあるはずがなかった。
 執務机上に戻した竹の花を今度はプロイセンが弄りながら口を開く。

「花が咲くのは珍しいと聞いた。はっきりとは断定できないらしいが、六十年毎とも百二十年毎とも言われているらしい」
「ふーん」
「だから竹の花は不吉とされていて―――咲いたときには禍いがおこると云われている、とか」
「……!! そ、そんなことを軽々しく……!」
「なんだ、怖いのか? ただの逸話だろう?」

 頬杖をついてにやりと口の端を上げたプロイセンにからかわれたと知ってカッと顔に血が上った。 しかし衝動で何かを言うより前にプロイセンが意地の悪いそれを穏やかなものに変えたものだから 叩きつけようと動かした腕は所在を無くし、仕方なくぱたりと下ろす。 下ろした瞬間それを待っていたように男は話の続きを始めた。

「そういえば清国のさらに東にある島国に、竹に纏わる面白い話があるそうだ」
「話?どんな?」

「―――竹から姫が生まれてくる噺だ」
 そして彼は飛び切りの秘密を話すようにゆるりと笑んだ。