「うえーんっ!」

 夕暮れ時。公園で。

「ほら、すぐに会えるけんね」

 困った。
 今、物凄く困っている。

「な、だから泣くんじゃなかよ」

 繋いだ手に、少しばかり力がこもる。








   Help![Be good,little lady.]








 そもそもコレの発端は。

「―――うん、これで全部やね」
 がさり、とビニール袋を持ち直す。
 今日は日曜日で、珍しく部活がなかったから久しぶりに買い出しに来たのだが。兎に角久しぶりだった所為で、 それはもう本当に色々と買い込んでしまった。 腕に掛かる重量は相当のものだが―――そこは流石と言うべきか。伊達に野球部員を名乗っているわけではない。
 昼頃出掛けたにも関わらずもう既に大分陽は傾いてきていた。 急ごう。今日は久しぶりに少し手の込んだ夕食にしようと考えていたから。
 いつものように大通りを通り過ぎて、本屋を曲がって、公園を突っ切って。広めの空き地を通り過ぎて、 相田さん家のポチに挨拶をして。それから。そうだ、虎鉄の家に寄って。
(虎鉄なら今日は家から出よるなんてこつ無かね……多分)
 窓に何かをぶつけてこっちに気づかせて、
(コントロールなら問題なか。むしろあった方がどうかしとう)
 何を、話してやろう。おはよう?こんにちわ?こんばんわ?寂しかったとか、会いたくなったとか、なんとなく……とか?
(駄目だ。奴をつけ上がらせる)
 でも、何でも良い。とにかく何かをしたい。
 だから。急いで、大通りを過ぎて、本屋を曲がって、公園を突っ切って。

 ―――そうだったはずなのに。

「えーん、えーん!」
 少し離れたところから、女の子の泣き声。それもずっと泣いていたのか、声が少し枯れかけているようで。
「あー……」
 内心、立ち去りたい気持ちで一杯だったけれどそれを放っておけるほど心が狭いわけじゃなく。 思わず呻く。これは確実に巻き込まれるだろうな、と。そんな葛藤を余所に一層泣き声は酷くなる一方で。
(―――よし)
 意を決して声の聞こえる方へ歩いていけば、原因はすぐに見つかった。
砂場の前で蹲って泣いている少女が一人。普段賑わっているはずの公園には不思議なくらい誰も居なくて。
「どうしたん?」
 近寄って、膝を折り目線を少女に合わせて話しかける。突然の声に驚いたのか一瞬だけびくりと肩を揺らし、 でもしっかりと顔は上げてくれた。思った通り目元は擦りすぎて酷く赤かった。
「なぁ、どうしたん?」
「……ママっ……居なくなっちゃった、の……」
 もう一度声を掛ければ、小さく返ってくる返答。 言葉に出して更に不安になったのか、語尾は小さくなって殆ど聞き取れなかった。
「ママとはぐれた?」
「……エミね、おすなばであそんでたらね、ママもう居ないの……」
 舌足らずな声と単語の順序で解りづらいが大体の文意は読みとれた。要するに、迷子。
「ずっと?」
「うん。ずっといないの……」
 すんと鼻を啜る。
 ちらりと砂場を見遣れば視界に入る砂の塔。綺麗に創られたところを見ると、夢中になっていて完成するまで母親が居ないことに 気づかなかったのだろう。ただこの小さな少女を残して、母親がこの砂場を離れるだろうか。 或いは少女がはぐれてしまったという説も捨てきれないが。 どちらにしろこれはもしかしたら思ったよりずっと重大な事件かもしれない。
「警察に、」
 これは警察に迷子として保護して貰った方が良い。 その方が親と再会できる確率はずっと上がるし、何よりもこの子が安全だ。そう思って立ち上がろうとすると。
「……?」
 くい、とズボンの裾が引っ張られ、再びしゃがみ込む。 引っ張った幼い手には彼女の出せるあらん限りの力が注がれているのだろう、思いの外強い力で引っ張られている。
 その瞳には涙。
「……おにいちゃん、いっちゃうの……?」
「―――っ」
 弱々しい声に、動けなくなる。此処にまた独りにされることを、少女は何よりも畏れているのだろう。それが容易に解るから。
(仕方ない、か)
 こうなったら警察に届けるのは後回し。上手くこの子の母親が見つけてくれることを祈るばかりだ。
「分かったっちゃ。ママ帰ってくるまで、一緒に遊ぼうな?」
「……うん!」
 瞬間に、ぱあっと表情が晴れる。そして直ぐさま砂場に走って戻ると、こちらに手招きをしてしゃがみ込む。 宣言通り遊べ、ということらしい。
「大丈夫、すぐ戻ってくる」
 誰にでもなく自分に言い聞かせて、荷物をベンチに置くと、少女の元へ駆け寄った。











































 唐突に猪里に会いたくなった。唐突に。

 多分今頃は駅前にあるショッピングセンター内のスーパーに居るはずだとぼんやりと考える。 確か昨日そう言っていた。明日は特売日だと大喜びしていたような。
 だから会いに行こうと思って、驚かせようと思って。当然、出会えないなんてことは初めから考えていない。 早く早く会いたくて、公園を突っ切って、本屋を曲がって、大通りを過ぎればスーパーだから。 公園を突っ切って。本屋を曲がって。大通りに差し掛かったところで。
「―――。」
 オゥ、超美人発見。思わず立ち止まる。
 淡いピンクのカーディガンとフレアスカート。焦げ茶のロングウェーブが首の動きに併せてふわふわと靡いている。 手には俺の目指していたスーパーの袋。彼女の表情は浮かなくて、きょろきょろと周りを見回している。  何か捜し物だろうか。犬かな?
「どうしたんですKa?」
「あっ……えっと……」
 声を掛けたら、かなり戸惑ったらしい。まあ当然といえば当然だろう。名も知らない他人が突然声を掛けたのだから。 そして少なからず俺の外見も関係しているのだろう。自分の格好が、第一印象をそれほど良くしないと知っているから。
「あ、イヤ、なんかお困りだったみたいなんDeー手伝えたりしないかな、To」
 にぱっと八重歯を見せて子供っぽく笑う。 正直俺のガラじゃないと解っているが、それでもこのアクションの効果は絶大だ―――ということもよく知っている。
 そしてやはり、この様子に幾分心を許したのか、事情説明をしてくれた。

「子供が、迷子になってしまったみたいで」

「……子供?」
 その瞬間、思わず前で握られていた彼女の左手を凝視してしまった。勿論、気づかれない程度に、だが。 左手の薬指にはしっかりと、シンプルだが一目でそれと判るリングがはめられている。
 な、なんてこった……!
「はい。五歳の娘が、目を離した隙に居なくなって……」
「Ahー。典型的な迷子、ですNe」
 なんだ人妻かよ。こんな美人なのに。それにしても若く見えるのに、五歳の子供が居るなんて。ショックにも程があるさ! そんな俺の心の叫びに当然気づくはずもなく、彼女はおろおろと母親の顔で周りを見渡す。
「この辺りは全部捜したのですけど……居なくて……」
 きゅ、とその綺麗な眉が寄った。ああ。駄目だ。人妻と知って尚、否、尚更―――いやいやいや。 そんなことは関係ないじゃないか。
(この美人Wo放っておくなんてコト出来るかYo!)
 例えるなら、暴漢に襲われそうな猪里を路地で見かけたときといったところか。 そんな彼を放っておくことが出来ようか。否、出来るわけない!もとい、そんな状況には死んでもさせない。 レヴェルは違えど、まあそんな話だ。
「この辺Ha探したんですよNe?ってことはもう少し遠くNo何処かかァ」
「10分も見てないんです。あの子……どうしたら……」
 とても不安そうな顔だった。俺の頭はその表情を見て、すうと冷える。 ああ、彼女にとっては「そんなレヴェルの話」では無いのだと、思い知らされる。
(―――よし!)
 ぐっと気合いを入れる。此処は少し本気で捜してみよう。 偶には親切に人助け、なんてまるで漫画のヒーローみたいだけれど。

 ぐるぐるとそこら中何度も回ってみて、やはり見つからなかった。
「ああどうしたら……!」
「落ち着いてくださいっTe……」
 いよいよ状況としては拙いかもしれない。誰よりも冷静でいなくてはいけない母親が、冷静でいられなくなっている。
 当然だとは思う。俺だってもしこのまま猪里が行方不明になったりしたら耐えられないから。
(―――あ。)
 其処でハタと思いつく。手詰まりだ、正直。俺とこの女の人だけならば。 だがその可能性を考慮するとするならば見付かる幅は確実に広がる。そう思える。
「今から助っ人呼びますかRa」
 その瞬間、手に持った携帯電話から綺麗なメロディが流れ始めた。











































 エミを砂場で遊ばせながら、それなりに周囲を探してみた。 ただ、完全にエミから離れるわけにはいかなかったため、良くて公園の隣の路地程度しか探せなかったが。
「おにーちゃーんっ!」
「あーはいはい!なんね?」
「エミおすなばあきたーっ。あれすべりたい!」
 そういってエミが指した先には、滑り台があった。この公園には小さいにも関わらず、二つ滑り台が設置されている。 一つは明らかに幼児用の、小さく短い象の形をした滑り台。勿論滑る部分は象の鼻。 そしてもう一つは先のものと離れた場所にある、キリンの形をした滑り台だ。こちらは少々高く、長めに作ってある。 エミが指した方は、そのキリンの滑り台。
「おにーちゃんも一緒にすべろ?」
「あれ……は、危ないっちゃよ」
「へいきだよ!エミ、あれでいつもすべってるもん!」
 そうは言われてもこれでもし怪我をされても困る。治療費とかは払えるわけないし、 最悪裁判沙汰になられでもしたら本当に困るとかそういう次元の話ではなくなるし。 と、そこまで考えて。
(……いつも?)
 エミが放った言葉に今更反応する。
「いつも、っちゅうことは、エミは何度か此処、来たこつあるん?」
「うん。ママと一緒にいつもくるの」
「……!」
 ということは、エミの母親は此処を候補の一つに入れてる筈だ。近い内に辿り着くだろう。 否、もしかしたら此処に気づかないかもしれない。とっくに探し終わっているかもしれない。 だったら、周りを探す必要があるだろう。
(けど)
 周りを探すといっても、結構遠くまで行く必要があるかもしれない。 それに、探している間にもしエミの母親が来て、入れ違いになる可能性だってあり得る。
(此処は、別の人間に頼むんが得策!)
 そして、そうすれば当然のように思い浮かぶ人物。
「エミちょっとだけ待ってほしか。今から助っ人を呼ぶけんね」
「すけっと?」
「そう。エミのママば探してくれるひと、呼ぶんよ」
 にっこりと不思議そうなエミに微笑みかけて、ポケットから取り出した携帯電話を操作する。 慣れた手つきで電話帳を呼び出し数度のコール音の後、声が聞こえた。
「―――もしもし?」
『……ワォ。猪里チャンどしたNo?』
 その虎鉄の声は、何故かは判らないが驚きと少しだけ嬉しそうな響きを持っているようにも思えた。
 そして初めの予想と違い彼は外出しているらしい。携帯電話越しに、車の音や自転車のブレーキ音が聞こえたからだ。
「あんな、ちょっと緊急事態起きてな……助っ人ば来てほしかー思って」
 ひゅっと息を呑む声。数秒の沈黙の後、何かを含むように虎鉄が喋り出す。
『奇遇だNa―――俺もちょっと緊急事態でSa、猪里呼ぼうと思ってたNo』
「へぇ、奇遇やね……どんな?」
 お互い似たような状況に陥っているらしい。同じ日の、同じ時間に。 まるで繋がっているようで少しばかり、ほんの少しばかり嬉しくなる。
 しかしそんな思いも次の瞬間すっかり消えてしまったけれど。

『道ばたDe出会った人No迷子娘を探してるトコ……なんだけDo』

「ま……迷子……?」
 驚いた。同じ状況なのは内容までもか。そして、もう一つの可能性にも行き着く。もしかして。だから、驚いた。
『……言ってみ』
 その意味は、状況を説明しろということらしい。
「コッチも迷子。母親ば、探してるんやけど……」
 しかしまさか。そんな偶然は。そのとき、機械越しに虎鉄がにやりと笑った。気がした。思わず叫んだ。
「―――その子の外見特徴教えりぃ!」
『オーケイ。えーTo…外見の特徴を教えて貰えまSu?』
 後半はその「出会った人」に訊いているのだろう。 その人の声は此方まで届かないから分からない。が、虎鉄が何度か相槌を打っていることでそうと知れる。
『猪里、良い?黄色のワンピースDe、赤いリボンNo麦わら帽子だTo』
「黄色……赤……」
 それを聴きながらエミを見た。 見上げる彼女は黄色い向日葵柄のワンピースを着ていて、赤いリボンと花飾りのついた麦わら帽子をかぶっていた。
 ビンゴ。
『あーっTo……それかRa……』
「虎鉄?」
『ン?』
「その子、茶色いリュック……背負ってるんやろ」
 確信を持って問う。恐らく、いや確実にその答えはイエスだろう。それ以外に目立つ特徴は無いから。
『……もしかしTe、ドンピシャ?』
「そうみたいやね……!今、何処?」
『分かりづらいかRaコッチが行くZe!何処Da!』
 そう言いながらもう走り出しているようだ。今にも切られそうな勢いの携帯電話に向かって、思い切り叫んだ。

「桜の公園!」











































 揺れる視界に、公園で佇む姿を認める。
「虎鉄……!」
「猪里!」
 と、走り寄る俺達の後ろから。
「恵美……!!」
「ママァーっ!」
 今にも泣き出しそうにくしゃりと顔を歪め走る少女に対し、母親の方は既に泣き出していた。 丁度公園の入り口辺りで再開した母子は、きつく抱きしめあっていた。
「良かったっちゃ……」
 同じように走り寄った虎鉄と猪里も、その様子にほっと息を吐く。
「俺ら超いい人〜。つか、心通じ合ってるみたいDe結構嬉しいんですけDo」
「……ん」
 同じ事を考えてたのか、照れた様子で俯く猪里。
(これは肯定っつうことで良いんだよな?)
 まあ当然だけど?
 茜色に染まる空の下、二つの長い影が寄り添う。


 これにて一件落着。







何処にいたって出逢えるよ。








060812.
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