結晶








「将臣、雪が降ってる」
「雪?」
 訊ねても返事が返ってこないため手に取っていた雑誌から目を離し声の主を振り返った。 予想とは違い彼の顔はこちらを向いておらず、窓際に座してじっと外を見つめている姿だけがある。
 その九郎の態度に知らず将臣は眉を寄せる。予想が外れたことが面白くなくて、 座ったままずるずると近づくと九郎の身体を腕で囲った。ついでとばかりにその肩口に顎を乗せた。
「何見てんだ?」
「だから、雪が降っているんだ」
 返答はすれども相変わらず九郎の意識は窓の外を向いたままだ。絡めた腕に力を込めても、同じく。
彼の言葉通り外でははらりはらりと雪が舞っていた。 いかにも寒そうな灰色の空からしんしんと静かに降り続ける白い結晶を見ていると、外から寒さが伝わってくるような気がして、 思わず一度身震いをした。
 するとはっとしたように初めて九郎が振り向いた。
「将臣?寒いのなら……」
「九郎が居るから寒くねぇよ」
「だがっ、」
「だからいいっつってんだろ」
 渋る九郎の口をここぞとばかりに塞ぐ。ようやく向けてくれた意識を繋ぎ止めておくため、何度も何度も軽い口付けを繰り返す。 九郎は抵抗することなく素直にそれを受け入れていた。常と異なるその様子に、将臣はもう一度眉を寄せる。
「……九郎?」
「ん、なん……だ」
「何か変なもんでも食ったか?」
「なんだと」
 将臣の言葉に今度は九郎の眉が動き憮然とした表情を隠そうともせず応える。それを見て将臣は軽く笑った。 やっといつもの九郎だ、と。それに九郎は首を傾げる。
「何なんだ今日は……お前、変だぞ」
「それはこっちの台詞だろ」
「俺は普通だ」
「いんや九郎の方が変だって」
「だから……!」
 はたと何かに気付いたかのように言葉を止めた九郎に、将臣も口を閉じた。 おかしな言い合いをしていた、と溜息を吐いた。

「なんだって、雪?」
「雪?」
「九郎が言ったんじゃねぇか。雪が降ってる、って」
「ああ……そうだ、雪が降ってるんだ」
 思い出したように最初と同じ言葉を繰り返す彼に、今度は意を違えないよう訊ねた。
「外に出たいのか?」
「いや、降り積もる様を見るのが好きなんだ」
 そして窓の外を一度眺めると、再び口を開く。
「雪は好きなんだ……全てを白く染めて、隠してくれるから」
 瞼を伏せる彼の表情からは郷里を懐かしむ思いと同時に、深い哀愁と望郷の念も感じた。
普段は絶対に見せないその貌に酷く遣る瀬ない気持ちになる。彼を此処に連れてきてしまったことは間違いだったかと疑ってしまう。 きっと九郎もそう思う俺を知っているからこそ、いつも表には出さないのだ。
 九郎もはっとして直ぐさまそれに気付いて誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべた。
「……そんな貌をしてくれるな」
 呆れたような声音で言う九郎に初めて自分がまた顔を顰めていたと知る。
「お前はまた変な悔恨に囚われているんだろう?」
「変な、って……そんなことねぇよ」
「当ててやろうか。俺を此処に連れてきたことを考えていたんじゃないのか」
 そうして当たっているだろう?と得意げに笑った九郎。確かに当たっているが、 それがクイズでも何でもないことなど互いが承知していた。
「それならば気に病むのは見当違いだ」
「知ってるさ。九郎が俺にベタ惚れだってのもな」
「……俺は真面目に話しているんだが」
「悪い。そうだな、こんな話したって不毛なだけだし、やめるか」
 九郎が此方の世界に来たことを後悔しているわけでは無いのだと知っている。 俺の傍に居るためとは流石に口には出さなかったものの、此方の世界に来ることは自ら選んだのだと、 未だ遙か時空を越えた向こう側に居た頃に九郎ははっきりと言った。
もし九郎が後悔をしたとて後の祭りだ。此処に龍神は居ないのだから。向こうの世界を懐かしむことはあっても、 帰りたいと願うことに意味は無い。
 話に区切りをつけたところで、凝り固まったように思える躰をほぐすように伸ばしながら窓の外に目を向けた。 降り続ける雪の軌跡を辿りながら、唐突に思いつく。
「なぁ九郎、外出てみないか」
「だが寒いだろう」
「いいじゃねぇか、出ようぜ」
 先程のように渋る体を続ける九郎の腕を引いてもう一押しとばかりに言葉を重ねた。
「そうだな……将臣がそこまで言うなら」
 嬉しそうに言って立ち上がった九郎の髪が彼の動きに沿って跳ねた。その様がまるで犬の尻尾のようで笑いを誘う。
そういえば嬉しそうに庭を駆け回るのは犬だったかと思い出して、今度は本当に笑った。

 白い雪は相変わらずはらはらと舞い続けていた。

















060505.
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