A lot. act.7



 遠ざかる背中を見つめながら、激情が湧き出るのを感じた。
この場に箱形のダストボックスがあったなら迷わず蹴っていた。
それほどに激しい感情が自分にあると知ったのは、初めてだった。













































 何もかもを避けるように通路の隅で、膝を抱え込みながら会話といえない会話を続ける。
「俺は……どうすればよか?」
「他のみんなが……処分されてるなんて……」
 同じように座り込む録は青ざめた顔を手で覆う。
彼と同じシリーズのACAも既に何体か処分されているのだろう、震える手で素早く十字を切った。
知識として知ってはいても当然ACAに宗教概念は存在しないから、それはただのパフォーマンスでしかなかったが。 それでも最初の研究者の目論見通り、仲間の死に悲しむという機能はちゃんと働いている。余計なお世話だとは、もう言えなかった。 心があるとは、人を想うことが出来るとは、なんと素晴らしいことだろうと。そう、思ったから。もう。
(だから―――、)
「……逃がしたい……」
「……え?」
 ぽつり、と猪里が洩らす。その言葉に録は瞠目する。
彼はその所作に動じることなく、今度は強く心を決めるようにゆっくり言葉を吐き出す。
「虎鉄を、爆破の前に、逃がしたい」
 録はその宣言に、更に目を開く。
「それは無理気だよ……っ!所長命令には逆らえない!」
「でもっ!」
 この研究所に居るものとして、ACAとして、正しい録の声を遮って叫ぶ。

「やけんっ……もう俺は……ただのロボットには戻れなかよ……!」
 それがACAというプログラムで動くロボットとしてではなく、猪里猛臣として思った事だったから。
「ただ黙って……命令ば聞くだけなんて、もう!」
 大切に想う誰かを失うことはきっと酷く辛い、と思ったから。
心のある人間だったら―――虎鉄だったら、そうすると思ったから。

「……俺は、君みたいに……逆らえない気だよ……」
 録が顔を歪ませて零した言葉に、瞬間はっと息を飲んだ。
彼は抱えた膝に頭を沈めているため酷く不明瞭な声だったが、それでも性能の良いマイクはしっかりと声を拾う。 録の悲痛な声がリアルに伝わる。
「そこまで……俺は出来ない―――思え、ない」
 静かに言い切った彼の声に、幾らか落ち着きを取り戻す。
 オリジナルそのままの『心』を持つXシリーズと違い、所詮彼は汎用型。 猪里の意見を理解することは出来るが、それに同調することは出来ない。 同調することが出来ないから、プログラムが働かず行動を起こすことが出来ない。
 変化をもたらすなら『心』にして欲しかった、といつか彼は言っていた。 例え少しだとしても必ず『心』があるACAは皆、正しき『心』を持つXシリーズの彼らに憧れる。 同じように、彼もいつかそれを吐露してくれた。このどうしようもない気持ちを正しく解ってくれる君になら、と。
「……ごめん、ごめんな、録」
「気にしないよ。悲観的にはなれない気だから」
 そういう風にプログラムに指示が与えられているのだと暗に言った。それに、もう一度息を飲んで、眼を閉じる。













































「猪里」
「え、はい―――っ所、長……」
 手を軽く上げならこちらに向かってくる人間は、間違えようもなく羊谷その人だった。 此処に居るべきでは無い人物を見て驚いた。
ゆっくりと歩いてくる彼は上げていない右手に持った鉛筆を擦るように動かす。 当然研究所内は禁煙であるため、喫煙家の彼は所内ではいつも鉛筆を持ち歩く。 手持ち無沙汰なのだろう、そしてたまに口寂しくなるのか端を囓る癖がある。アナログなそれは今となっては滅多に見ることも無い。
「よう。調子はどうだ?何割ぐらいやったよ」
 主語の抜けた言葉に少しだけ悩むがすぐに内容は理解できた。問いに答えるべく体内のメモリを確認する。 主要な領域は全て完了している。あとは補助的な機能に対侵入者用のダミーデータを残すばかりだ。 といってもその部分が思っていたより容量が大きい。一日かゆっくりやって二日掛かるだろう。
「えっと……八割までは、いったとです」
「ふん。八割か……」
 少し遅いんじゃないかと呻るように言葉を切るが、彼はすぐに淡々と続けた。
「期日が決まった。五日後の午後一時に破壊するぞ」
「……五日後、」
 データのロードに掛かる時間として考えるならば何ら問題はない。
「お前なら十分だろう。何か不満でも?」
「いえ」
「詳細は……面倒だからマザーから送るわ。じゃな」
 歩いてきたときと同じようにふらふらと去っていく羊谷を頭を下げて見送りながら、焦りで頭が働かなくなっていくのを感じる。
(―――、)
 どうすれば、の一言だけが延々と頭を巡っていく。













































「これ、が……最後」
 自室のコンピュータのキーを叩きながら、涙を堪えるように眉を寄せた。
―――これが終われば研究所は爆破される。研究所爆破の日にちが迫っている。 それはつまりここの人間が、虎鉄が、処分されて殺されてしまう日が迫っているということでもある。
 そう思うと、体中からさっと何かが引いていくような気がして落ち着かない。
 長い電子音が何度も響くのにようやくロードが終わったと悟って、椅子に崩れ落ちた。
流石マザーのデータというべきか、大抵のデータならばどんな容量でも疲労困憊することは無いが、 まずロード量の桁が違う。更に中身も濃いから、詰め込んで軽く処理をすることが結構疲れるということを知った。
否応なくデータの暗号の解析を行おうとする優秀な機能にホールドをかけてから、ベッドまで這うようにして進みダイブを決める。
「―――……、」
 そういえば、虎鉄は実験から帰ってきたときいつも同じ事をやっていたな、と思う。

 少しだけ前の話だ。
「……疲れ、Ta」
 ドアのエアー音に振り向けば、覇気のない声に共に虎鉄がふらふらと入ってきた。
いつもパリッとした清潔そうな白衣もよれているし、頭のバンダナも落ち込んだ動物の耳のように垂れ下がっている。 顔に至っては青白さを通り越して石膏のような色をしている気もする。
散々な様子に狼狽を隠せず、しかしどう対処して良いか判らずおろおろと彼に駆け寄る。
「お、おかえり……なしてそげん疲れとると?」
「ありえね、もう、無理Da、ごめ、ちょ……」
「え?」
 繋がらない言葉の羅列に目を開けば、声を出すのも面倒だと書いてある顔が、僅か微笑む。 そうしても、やはり声を掛けるのも躊躇われるほどの酷い顔は変わらず。
 ようやっとベッドまで辿り着けば、虎鉄は倒れ込むようにシーツの上にダイブした。そのまますぐに寝息が聞こえてくる。
「……?」
 そのときは酷く呆れて、しかしちゃんとタオルケットをかけてやった。
 何故そこまで疲れているのかを問いただしたことはないが、思わずベッドにダイブしたくなる気持ちは、今は少しだけ解る気がする。 人間は大変なのだなあと思うと同時に、今日虎鉄が部屋に帰ってきたらカフェオレを淹れてあげようと考える。
 考えながら、電源をスタンバイ状態に切り替え、意識を落とした。

















051225.
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