A lot. act.6
「猪里ーッ!」
「……録?」
通路の向こうから声の主が軽やかに駆けてきた。
その姿が呟いた名前の主であると認めて、猪里は花が咲くように表情を輝かせる。
「わーっ久しぶりやねぇ!半年ぶり?」
「うん176日21時間17分ぶり!」
「録って第二研究棟やったんやね。全然気付かんかったと」
「もしかして猪里もこっちに引っ越してきた気?へえー知らなかった!」
猪里と同じぐらい小柄な録は第二研究棟で観察されているACAの一体だが、Xシリーズではない。
二十一年前に作られた"J-327"という汎用型ナンバーを持つ彼は、名称を朱牡丹録という。見れば判るがJシリーズである。
何故汎用型ナンバーであるにも関わらず観察されているかというと、
Jシリーズは製造時に一定の範囲(実際は30体が確認されている)のACAだけ、能力の突出や欠如という設定外の現象がおきたからだ。
同時期に生産されたIシリーズ、Kシリーズは通常通りだったのに、何故Jシリーズだけがそうなったのか。
何故Jシリーズの中でもたったの30体だけに変化がおきたのか。何故起きた変化はすべて異なるものだったのか。
それらの原因を知るために、Xシリーズのそれより質は劣るが、観察やプログラム解析が行われているのだ。
彼のそれは、任意で周囲の機械類のシステムを破壊することが出来るという、戦争といわず現代のあらゆるものに於いて
最も破壊力のあるスキルだった。それ故研究員達は躍起になって彼の解析を進めているというのは、また別の話だ。
「……そいえば録、俺になんか用ばあるん?」
話に花を咲かせる前に、忘れぬ内にと録が呼びかけてきた理由を訊ねる。
今までこの研究棟で全く会わなかったのに、彼が通路を通っていた猪里を偶然発見するなんてことは比率として有り得ない。
思った通り彼はしまったという表情したあと、慌てて口を開いた。
「あ!忘れるとこだった……猪里、所長から呼ばれてる気だよ」
「え、所長?」
「うん。至急だって言ってたけど」
録もよく知らないのか、首を傾げながら不思議そうにそれだけ言った。
第二研究施設群の所長は仕事を全く受け付けないことで所内では有名だ。
仕事せずに管理棟の女性オペレーター相手に遊びほうけている、とは専らの噂だが。
そんな所長が何か行動を起こすということは、余程ふざけた事をしでかそうとしているか、
余程重要な何かが近い内にある、のどちらかでしかない。
しかし後者である場合、ACA同士で連絡の遣り取りをさせるなんてことは絶対に有り得ない。
(本来ACAはそう有ってはいけないものだが)伝達が不確実で、他人に不審がられる可能性も高い。
だからマザーからの通信でなくてはいけないのだ。
「ふうん。やけん、なしてわざわざ録に伝令ばさせとう?」
「さあ……?やっぱりお遊びなのかな?とにかく早く行った方が良さ気だけど」
「うん、そやね。あんがとな」
所長の常駐している管理棟は、第一研究棟を挟んで第二研究棟とは正反対の位置にあり、つまり一番遠いところにある。
至急というなら距離など関係なく至急なわけで、挨拶もそこそこに猪里はゆっくり走り出した。
全速力でも疲れはしないが、ようは気分の問題である。乗り気がしない、ということだ。
「―――え?」
その通告は青天の霹靂、或いは寝耳に水といえるようなもので、思わず声が出る。
所長―――第二研究施設群最高責任者たる羊谷遊人は、手に持った鉛筆を噛み潰すと再度告げた。
「所内の指定されたデータを明後日までにロードしろ。いいな?」
羊谷は言ってすぐに猪里の腕を取り、コンピュータのコードをソケットに差して彼の担当範囲を書いたデータを送り込む。
それを処理しながら、その行動の理由が解らずに猪里は顔を顰めた。
今度の気まぐれは今までの功績の中でも一際、解らない部類に入っている。何をしようとしているのか見当がつかない。
「なして、そげんこつ」
躊躇いがちに洩らした猪里にチェアの背を向けると、羊谷は口を開く。
「お前は外の状況を知っているか?」
「……そと?」
「―――戦争はもう終わっている、ということだ」
「……知ってるとです」
静かな声には落胆と憂いが混じる。
マザーから最新の情報を随時ダウンロードできるACAは、当然全員それを知っている。
ただし所内には箝口令が敷かれているため、一般の研究員が知っていることは無い。当然、虎鉄も知らないだろう。
猪里の返事に、羊谷はちらりと彼に視線を遣って重く溜息を吐いた。
「なら解るだろう。儲からなくなったんだ、この仕事も」
「でも……それなら……なして今まで……」
もう既に終わっている戦争なのに何故今まで続けてきたのだろうか。
兵器産業というのは戦争があって初めて儲かるのだから、戦争が終わってすぐにこの研究所は解体なり産業分野の乗り換えなりすべき
だったのだ。それなのに政府は忘れていたかのように研究所で兵器を作ることを中止しようとしなかった。
もしかしたら本当に忘れていただけかもしれない。その可能性も無くは無いが。
「政府は新しい事業を展開するつもりだ」
「新しい?」
「詳しくは知らないが……」
羊谷は猪里が気付いていると気付きながら、明らかに知っている口調でそう嘯く。
視線を空に漂わせ、天井を見てみたりして、再び口を開いた。
「新事業展開に当たって、この研究所を爆破することが決定されている」
「ばく……は……?」
「戦争の汚い部分をこれで全て消しちまおうって腹だ」
叩けばいくらでも埃が出てくるようなものを、平和を掴んだ現在に政府は残しておきたくない。
しかし実際研究所は残ってしまっているし、稼働どころか現在も兵器の生産を続けている。
それをどうにか無かったことにしたい彼らにとって、研究所の爆破は多少の損害はあれどそれを上回る利があるのだ。
「一週間後、牛尾、屑桐、村中兄弟とACAを連れてここから立ち去る」
別所に新しい研究所を構え、新しい従業員を雇い、民間の会社を立ち上げる。何事もなかったかのように。
勿論過去を知っている人間は少ない方が良い。しかし業務内容は同じなわけだから、全員が新人でも困る。
そう考えれば連れて行くのは棟長数人とACA数十体、というのは妥当な数であると言えよう。
棟長は実力があるからトップの座に就いている。
「当たり前だが、お前は連れて行くぞ」
「Xシリーズ……だから……」
「そうだ。あと他に役立ちそうなのも何体かは」
「そんな……じゃあ残りの人たちは……」
つまりそれ以外の大多数―――出荷されていない、研究所に居る普通のACAでさえも。
「爆破に乗じて、全て破棄処分だ」
処分をしてしまえ、と。仲間を平然と見捨てろと。
(何れ来る終焉―――)
そう、彼はなんと言っていただろうか。
(―――平和が訪れたら、兵器である君たちに未来は無い)
遠い声に思いを馳せる。未来のない自分たちに愛しき『心』を与えてくれた彼は。
(……そんな君たちの未来に、祝福を―――)
平和を心から愛していた、心から願っていた、彼の言葉を噛み締める。
「いいな、バックアップは慎重にしとけよ。マザーを持ち出すことが出来ないからな」
『マザーコンピュータ』と呼ばれる機械は、現実には存在しない。研究所のいたる所に組み込まれている
マザーコンピュータを構成するシステムの数々をを総称して『マザーコンピュータ』と呼ぶ。
つまりマザーを持ち出すということは研究所各所を破壊するのと同意であり、当然持ち出しや持ち運びは不可能だ。
またマザーは研究所の全システムの統制を行っていることもあり、マザーを持ち出せば研究所自体の機能が停止する。
よって極秘でマザーを持ち出すことは出来ないが、しかしそこでACAを用いることによってそれが可能となる。
ACAは動作維持プログラムのためのハードディスクとは別に、データ貯蓄のためのハードディスクを持っている。
本来の使用方法は不明だが、膨大な容量を納めることの出来るそれに中身を焼いてしまえば『マザー』の持ち運びが容易に出来る。
勿論ACA一体でマザー全てをコピーすることは出来ないから、必要な分のACAだけ連れて行くのだ。
役に立つというのは、そういうことだ。
「……はい」
精一杯絞り出した声に、知らず俯く。
頷くことしかできない自分を初めて歯痒く思い、掌を握りしめた。
051209.
ブラウザでお戻り下さい