A lot. act.5



「Heー!」
 突然あがった声に、猪里が椅子を傾けて眼を向ける。
「どうしたん虎鉄?」
 デスクチェアのよく傾く背もたれに体重を掛けながら虎鉄を見ると、彼が同じタイプのチェアをぐるりと回して猪里の方を見た。 その紅い瞳は爛々と輝いている。その様子に今までの経験から嫌な予感を覚えて心中で顔を盛大に顰めた。 もしかしたら顔に出ていたかも知れないが、まあそこはあれだ、ご愛嬌というやつだ。
「猪里の製造日っTe、4月12日なNo?」
「え?あ、あー……うん。そうやね」
 思ったよりも普通の質問だった。それに威勢を殺がれて思わず呆けるが、すぐに立て直す。ああ、危なかった。
 ―――正確に言えば、28年前の4月12日午前2時3分に完成だった。 起動開始時間はそれよりも8分後だが完成時には既に記録装置が働いていたため、 その8分間のことはちゃんと猪里の中に記録されている。
 初めて眼を開いたときに満面の笑みを浮かべてくれた、今は居ない彼を思い出し、呟く。
「もう、此処にはいらっしゃらないのですね……」

 君たちの何れ来る―――……

「……E?」
 はっとして飛んでいたらしい意識を戻す。不思議そうに見つめてくる紅に、頭を振り返す。
「なんでもなかよ。やけん、なしていきなり製造日の話なんしとうね?」
「別Ni大したことJa無かったんだけDo……」
 腕を組んで眉を寄せた虎鉄の表情は険しい。それを見てどきりとする―――何か不備があっただろうかと。
それが何故だかとてつもなく嫌で、非常に焦って高速で体内のプログラムにサーチをかけた。
 体内を潜り込む感覚を意識の端に捉えながら、ふと考える。そうか。製造日を訊いたのはきっと自分がもう古いからだ、と。
 当時の最新技術で作られたこのボディも三十年近くずっと動き続けている。 定期的なチェックと部品入れ替えは頻繁に行っていて、大抵の部位は現在でも最新といえるものばかりだ。
 それが汎用タイプのACAなら問題ない。脳内のデータを全て焼き直してボディも替えてしまえばいい。それが出来る。
 しかし自分は生憎と言うべきか、その一般例には当てはまらないナンバーにXを持つACAだ。 ブラックボックスになっている『心』は勿論、脳内にもそれと連動した吸い出しの出来ないデータが多々ある。 当然その部位の交換は出来ず、古いまま継続して使用されているのだ。
 もしかして、その部分に限界が来たのではないか。そしてそれを彼は告知しようとしてるのではないか。
(そんな……ことは……っ!)
 自分の予想にぞっとした瞬間、サーチ完了の言葉と検索結果が表示された。
 結果、異常無し。
どうやらそれも杞憂に終わったようで、ほっとしてまたも心中で大きな溜息を吐いた。

 全てのACAはマザーコンピュータと呼ばれる一斉制御機器に繋がっていて、それに何時でもアクセスできるようになっている。 またマザーにはACAに関することだけではなく研究所内外の全データもほぼ集っており、それを引き出すことも出来る。 制限をかけられているもの以外は何時何処でも使用利用が可能だ。イメージとしては電子図書館が近い。
ACAからのアクセスが可能ならばその逆もまた然りで、マザーからの制御や指示が飛んでくることもある。
 こういったように、両者の間ではリアルタイム双方向ネットワークが展開されている。
だから全てのACAの情報はマザーに常時集められているわけで、何か不備が有ればすぐに気付く。 裏を返せば自分に異常がないことは既にマザーにも伝わっているはずで、 ならばマザーでなくてはサーチ出来ない上に自分には伝えることの出来ないレベルなのかと、かきもしない冷や汗をかく。
 そんな長考の末の判断も、虎鉄の次の一言であっさりと覆されてしまうが。
「Nnnー猪里さ、何か欲しいものっTe、あRu?」
「……へ?なして?」
「何でっTe……誕生日だからだRo」
 ぽかんと大きく口を開けて、しばらくは間抜け面を晒していた。 それから誕生日とは何だろうと考えて、人間の産まれた日にその誕生を喜び祝うものだったなと思い出す。
 誕生とは、人間のそれならば喜ばれるものであるかもしれないが、自分にとってそれは。

 生けるものたちに喜べぬ誕生に―――、

「……嬉しいわけじゃなしに、別にやんなくてよかよ」
 ぽつりと呟いた言葉は意味無く悲しげに響く。嬉しくもないというのは本音なのに、だ。
 誕生といっても、人間のように多くの人に喜ばれる誕生では勿論有り得ない。 兵器は少数の人間には利をもたらすが、大多数の人にとってそれは命を脅かすものでしかないからだ。 そしてそう望まれ生を受けたACAはやはり兵器であり、それが喜ばれるものであることは当然のようにない。
 祝って貰って嬉しいという感情はまだ持っていないためか祝われることに実用性を感じず、嬉しいとも思わない。 嬉しくないと言えばそこそこ嘘になるが、嬉しくは無いから祝われずとも困らない。
「そ、そんなこと言うなYo!」
 しかしどうやら彼はそうとう重く受けてしまったようだ。
鼻息も荒く、というのは語弊があるが、それなりに息巻いて虎鉄は言う。
「大切な友達の誕生日Wo祝いたいと思うのHa、自然だRo!」

 ―――生けるものたちに喜べぬ誕生に、君たちの何れ来る終焉に。祝福を、与えよう

「し、ぜん」
「そうだZe!拒否権Ha猪里にありまセン!De、なにかないわKe?」
 怒ったように切り返し威圧たっぷりに詰め寄ってくる虎鉄に、何も反論しなかった。 言いたいことはたくさんあったが、きっとどれも虎鉄を傷つけるのだと考えると胸が痛くなって、言うことが出来なかった。
 だから言わないでおこう。否、きっといつまで経っても言えないままだろうけど。
「……ほしいもの……」













































「―――空がいい」
「空?」
 しばらく経ってから猪里が短く呟いた。
「うん。外出たこと無いけん、青空見たかね」
「青空Kaー。ごめん今Ha無理だよNaァ……戦争中だしSa」
 しかし、やはりと言うべきか、そのようやく彼が出した願いを叶えることは出来そうになかった。
 戦争中に青空を望むのは子供がすることだ。 戦闘の際におこる爆発や火災によって戦場上空には上昇気流が発生し、大なり小なり雨が降る。 それも絶え間ない戦闘のため雲は途切れることなく、最近は雲間から覗く青でさえ少ない。
 そもそも、山一つ向こうで戦争をしているときに、わざわざ絶対安全な研究所から外に出たりする馬鹿は居ないだろう。 規則で外出を制限されていようがなかろうが、ラボの連中は(に関わらず誰だって)戦争の中心地に出ようと思わない。
 当然だが研究所には外部に面する一切の窓が存在していない事になっており、また屋上などもない。 外に出るにしても何枚もの書類を書く必要があり、その上それだけやっても許可が下りることは滅多にないのだ。 そこまで徹底されているものだから、誰も外に出ようとしない。
「ん、解ってるっちゃよ。まあ特に欲しいものは無かね……物欲無いし」
「ごめんNa」
「その気持ちだけで良かね。そっちのがよっぽどの宝物たい」
 猪里は虎鉄の言葉に、聞き分けの良い子供のように(実際そうでなくてはいけないのだが)そういって軽く肩を竦めた。
 それがとても痛ましく見えて、
「うん。ごめんNa」
 訳もなくもう一度小さく謝った。

 ピピピッ

 高い電子音がデスクのコンピュータから鳴った。
ディスプレイを覗き込めば最優先通信の案内が出ていた。慌ててキーを押して応対する。
「はーい虎鉄大河ですよーっTo」
『……虎鉄副棟長に棟長より指示、1000に第一研究室へ。繰り返してください』
「1000に第一研究室、了解」
『了解』
 プツンと軽い音を立てながらあっという間に画面が落ちた。
息を吐いて時計に視線を遣ると、時間まで少しも余裕がないことに気付く。
 ―――どうしてこんなギリギリの時間に通信を入れてくるんだあのオペレーターは!
 もっと余裕を持って指示するべきだと思う。これじゃあ普通間に合わない。
「それじゃまたあとでNa猪里!」
「わかったからほら、時間無かよ、さっさと行きんしゃい!」
「Heーい」
 ハンディコンピュータを掴み取ると、猪里に追い立てられたので走って部屋を出た。













































「そういえBaッ!」
 通路を右に左に曲がって、今までの場所とは明らかに違う材質で出来た床を踏んだことで、それを思い出した。
 第二研究棟と第一研究棟を繋ぐ通路の片隅に、研究所唯一の窓があることに気付いたのは最近だ。 珍しいと思いつつ覗いてみたことがある。そういえばそのときはこれまた珍しく空に雲が少なかった。ように思う。 その時も急いでいて一瞬見ただけで通り過ぎてしまったから、どうにも記憶は曖昧だ。
 先程の会話を知らず反芻して、期待を胸に窓を覗いた。

「―――晴天Da」

 美しい冬特有の高く広がる、雲の一片さえもない青い空を魅せられたように見続ける。 偶然といえども、覗いた二回ともが晴れているなんてなんたる幸運なんだろう。晴れ男というやつだろうか。
 空を見たいと願った彼に今すぐ見せたいと思ったが、生憎指示された時間まで残り少ない。 今更ながら第一研究室は遠いなという感想を抱いた。それからあのオペレーターへの怒りも再び。
「次Mo晴れててくれよNaァ!」
 誰に言うでもなく放った言葉は、恐らく叶うことはないだろうと。静かに。

















051026.
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