A lot. act.3



 耐熱室には、逃走したACAと監視役らしい研究員が数人居た。
「他の三体はどうしてる?」
「X-16は第五研究室、X-5は第一資料室、X-8が第八研究室に」
「そうか。彼らにこのことは既に伝わっているかい?」
「いえ、まだと思われますが……どうされますか」
「ああ、いい。伝えなくていい。そのままにしてくれ」
 研究員と牛尾が会話しているのを見るとはなしに見ていた。会話の内容は殆ど聞こえていなかっただろう。
 それほど、目の前のACAに目を奪われていた。
 十代の幼さを残す顔立ち、透けているかのように薄い色素の睫、その伏せた睫によって出来る影、艶やかなブラウンの髪、 膝に置かれたなめらかな手。どれも見た目は人間とそう変わらない。否人間よりも美しい出来であると謂えるかもしれない。
やはり完璧さを誇るACAの中でも最高級なのだと、感嘆の溜息を吐いた。
 その所作にはっきりと眉を顰めた彼を見て、はっと我に返る。
「えっと……あ、君、Ha……」
 無礼に弁明をしようと慌てて口を開いたはいいが、名前を知らないことに呼びかけてから気付いた。
ゆっくりと上げた彼の顔を見て、もうひとつ、ああこれは見たことのある顔だと気付く。
「君……さっきNo、ぶつかってきTa……」
 そうだ。このブラウンの髪と、同じ色の瞳を覚えている。そこだけスローモーションになって頭で何度もリピートされる。
しかしそれぞれのパーツは鮮明に覚えているのだが、どういうわけか組み合わされた状態、つまり顔全体は覚えてなかった。
 なんとはなしに口にしただけだった。ただその事実を確認しようと口を開いたのだが。

「―――もうしあけありません!」

「Hah?」
 勢いよく頭を下げた彼の発した声に、室内がしんと静まった。
横に居る研究員と牛尾は怪訝そうな顔で虎鉄を見る。どういうことだと視線を投げかけられても、 こちらが訊きたいぐらいだ。謝罪の理由はさっぱり解らない。
「えっTo……どういう……」
「何をした、No.7」
 冷ややかな声に言葉を遮られる。
その声を発したらしい研究員は、ACAに近づくと乱暴に腕を掴み上げ立ち上がらせた。
「副棟長に何をしたのか答えろ!」
 舌打ちと共に吐き出された低い声からは嫌悪が滲み出ていた。
人間ではないものに対する侮蔑と―――或いは恐怖も含まれていたかもしれない。
 腕を掴まれても全く表情を変えずにいたACAは同じように平坦な調子で静かに声を出した。
「……逃走中、第二セクションで衝突後……意識を失わせっ、」
 バシン、と乾いた音が一度響く。
「ふざけるな!そんな仕様にした覚えは無いぞ!」
 研究員がそのACAを叩いたのだと理解したのは、ACAの頬が摩擦で赤くなっていたからだった。
肩を震わせながら、研究員はパニックになっているかのように金切り声で尚も叫ぶ。
「どこでプログラムを書き換えた!私はそんな指示を与えていないぞ!」
「もうしわけ……ありません……」
「お前はそれしか言えないのか!ええ?」
「―――よしなさい」
 牛尾が研究員の振り上げた手を掴むと、興奮していた研究員の動きが止まった。
掴んだ腕に軋むほどの力をゆっくりと込めながら、しかし牛尾は優雅に微笑む。
「君はこの研究所に居ながらACAの価値が解らないのかい?解るなら、こんなことは出来ないはずだけど」
 それは、絶対零度の微笑み。
「あ……も……もうしわけ……」
「君はそれしか言えないのかい?」
 牛尾が声を、そしてそれに含まれた感情まで真似て言った台詞に、研究員のうめきがぴたりと止まった。
それを見て更に笑むと、急に興味を無くした子供のようにあっさりと腕を放し、ドアを指さした。
「君はここから出ていってくれ」
「へ……?」
 唐突な言葉にやはり理解が追いつけないのか、研究員が間抜けな声を洩らす。
「この研究所には必要ないと言っているのだが……それすらも解らないかな?」
 その言葉がようやく字面通りの意味だと理解したらしい研究員は、顔面をさっと蒼白にして、地に這い蹲った。
みっともなく頭を床に擦りつけ、ひきつれた声を出す。
「も……もうしわけありませんっ」
「それはもう聞いたよ。早く出てってくれないか、目障りなんだ」
「いや……し、しかし!」
「ああ、もうどこかに運んでくれ」
 牛尾の言葉に、何時の間に入ってきたのか外にいたはずの警備員が、その研究員を連れて外に出ていってしまった。
引きずられながらも何事かを叫んでいたが、鈍い音と飛沫の音に、それはぱったりと途絶えた。

 再び静かになった室内で、牛尾は隠すこともなく深々と溜息を吐いた。
「あの研究員は優秀だったんだが……まあいい、話を元に戻そう」
「その件なんですけDo、」
「わかってるよ。彼を処分することは出来ないから……とりあえず指示を与えて」
「いえ、そうじゃなくTe、彼の名前Wo教えて欲しいんですけDo」
 牛尾の動きが止まる。
何か変なことを言っただろうかと虎鉄が首を傾げていると、牛尾はゆっくりと虎鉄に顔を向けた。
「……言って、なかったかな?」
「言ってませんNe。教えてくださいYo」
「ああ、うっかりしていた。言ってなかったんだね」
 そうか、とひとつ頷くと牛尾は納得したように言葉を続ける。
そして椅子に座っているACAの側に行くとその肩に手を置いて、虎鉄を見た。
「彼、ACA"X-7"の個体名称は猪里猛臣だ」
 ACAに向かって挨拶をしなさいと静かな声で言った。
「よろしく……おねがいします」
「Ahヨロシク。やっと名前、知れたNa」
 口の中で、何度も知ったばかりの彼の名前を繰り返した。













































「―――彼のプログラムは面白いね、言語機能に方言が登録されてる」
「方言……?え、何処のですKa?」
 制作者の気まぐれで、XシリーズのACAにはよく変わったものが仕組まれているという。
例えば言語機能、外見、性格設定。個体数が少ないだけにスタンダードな形が少ないXシリーズの、 勿論その対象である彼に『方言』という特殊プログラムが組み込まれているのは、別段不思議なことでもない。
 めくった書類には、第四政府管理区域で20年前に廃止された古語である、と記されていた。
「第……四……?」
 だが第四政府管理区域がどの辺りにあって、そこで遣われていた古語がどんなものであるか、虎鉄には分からなかった。
いくら彼の趣味が古典芸能といってもそれはいわゆる『嗜み程度』でしかなく、地理や歴史は全く不得意である。 日本の位置や形でさえ漠然としか解らないレベルといえば分かり易いかもしれない。 周りにはよく非常識と言われるが、幸いそれで困ったことはまだ一度もないため、覚えようとは思っていない。
 話を元に戻すが、とどのつまりもう既に廃止された古語だと言われても知っているわけがない、ということだ。
 だから当然のように詳細を知っている様子の牛尾に訊ねた。
「確かここは……九州と呼ばれていたところじゃないかな?」
「いやそんなこと言われてMo場所分かんないんすけどNe」
 だから地理は分からないと言っているのだが。

 現在の日本の形は昔と大分違う。
変化の大半は二十一世紀中期におこった関東東海大震災で海に沈んだ土地だが、人工地盤によって海上に拡大している部分も多くある。
 一番の変化は、二十一世紀後期に訪れた埋め立てブームによって日本海と呼ばれていた海域が消滅したことだ。
二十二世紀初頭に完全なる地面となって大陸と繋がった。翌日日本政府により成された日本海消滅宣言は、 試験に良く出るから要暗記である。
「Ahー、そこ、海じゃなかったRa今度連れてってくださいYo」
 記憶を掘り出すことを早々に諦め、仕方なしに言ってみた台詞には、溜息が返ってきた。
「そうしたいのは……山々なんだけどね」
 言葉を濁して溜息を吐く牛尾は、申し訳なさそうな表情を浮かべながら言う。
「ACAの担当時間に多くを割いていて、とても外出できる時間は無いんだ」
「……そんなNi?」
「彼を担当する時間が増えたからね」
 座ったまま大人しく会話を聞き続ける猪里を指して、仕方ないんだ、と言った。
 ラボでは最優先事項であるACAに対して実験、研究、開発、観察、などかなりの時間をかけている。
特にXシリーズに関しては、ACA一体毎に担当観察官を一人決め、つきっきりで観察を行うことになっているのだ。
「でも、牛尾サンっTe……鹿目サンNo担当じゃ?」
 現在虎鉄が担当しているACAは居なかったが、普通副棟長には担当ACAが居なくてはいけなかった。
棟長である牛尾には、当然担当ACAが居る。"X-5"鹿目筒良という、虎鉄から見てかなり変わったACAだ。
 担当観察を行えるACAは原則一体と決まっているのだが、多分特例で二人分担当しているのだろう。
「仕方無いんだ。皆放棄してしまうから」
「……放棄?」
「扱いきれないっていうんだ」
 ―――彼が扱いにくい?
 嘘だと思った。虎鉄からは、彼は扱いにくいという言葉とは正反対に見えたからだ。温厚で、大人しくて、聞き上手で、 きっと笑ったら笑顔はとても可愛いと思うのに。
 人は外見で判断できないと謂うけれど、それが果たしてロボットに通用するだろうか。否、通用するに違いない。
彼はきっと、絶対、可愛い。
「そういうことだから僕が担当して居るんだけど……頼み事、いいかな?」
「良いですけDo……」
 頼み事の内容は、大体想像がつく。というよりこの話の流れでの頼み事なんてひとつだ。
内心は酷く浮かれていた。まだそうと決まった訳じゃないのに、諸手を挙げて踊り出したい気分になっている。
 落ち着け、落ち着くんだ。違ったときの落胆は大きいぞ!
「猪里君の担当になってくれると有難いなあ、と」

 ―――ああ、神よ!

「……別に構わないっすYo」
「そう、とても助かる。最近鹿目君の我が儘が手に負えなくなってきててね」
 必死に何でもないような顔を作りながら頷く。居もしない神にキスでもしてやりたい気分だ。
ほっとした様子の牛尾は、最初からそのつもりだったのか、手早く虎鉄にディスクを手渡すとコンピュータに向かった。
「そうすると……虎鉄君には第十五セクションの部屋に移ってもらおう」
「第十五セクション?」
 ラボは第一研究棟、第二研究棟、情報棟、管理棟の四つの棟で成り立っている。
今居る第四研究室は第一研究棟。第十五セクションは第十一研究室の近くで、第二研究棟にある。 つまりメインルームの第一研究室からは遠く離れた場所ということになる。
 自分は仮にも第一研究棟の副棟長なのだから、その棟に居なくてはいけないと思うのだが。
「……ACAと観察官の共同部屋はそこにしかないんだ」
「Ah、そうなんですKa」
 成る程それは仕方ない。
 第二研究棟には全部で九体ものXシリーズが居る上、他のシリーズの観察も行っている。
そのため四つの棟の中で一番観察施設としての機能が優れており、だからそこに共同の部屋があるというわけだ。
「マニュアルは向こうのコンピュータに送ろう。早速準備よろしくね」
「了解でーSu」
 資料の入っているディスクを弄びながら外に出ようとして、ACAがついてきていないことに気付いた。
座ったままの彼の側に近寄って、担当観察官として初めての挨拶をする。

「……よろしくNa、猪里」
「よろしく、おねがいします」

 猪里猛臣はそう言って深々と頭を下げた。

















051022.
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