A lot. act.1



 薄暗い室内で、カタカタと規則的にキーボードを叩く音だけが響く。
それらは時々思案するように暫し止まり、しかしすぐに再開する。
 カタンッ、と最後に一つ強くキーを叩くと、コンピュータから保存完了の電子音が鳴った。
 軋むチェアと深い溜息。
「やっと終わっTa……」
 ディスプレイに照らされた顔には、疲労の色が濃く表れていた。
彼はここ数日仕事による徹夜を強いられ、食事の時間さえ取っていなかったのだ。
 三日掛けて作り上げたこのデータを棟長宛てに送信すれば、ようやくこの仕事が終わる。
(あと少し……!)
 再び鳴った電子音に加え、ディスプレイに数行の文字が表示された。

 データ00275848f_ _送信完了

 無事仕事が終わったというサインに、安堵の溜息を吐く。
「畜生……牛尾サンMo扱き使ってくれるよNa……」
 大きく伸びをすると躰のあちこちからばきばきと音が鳴った。相当な凝りようだ。
既に空になって久しいマグカップを持って立ち上がり、ふと考えてカップを元に戻した。
 もう眠気覚ましのブラックコーヒーは必要ない。
 気分転換に外へ出ようと部屋の入り口へ足を向ける―――とはいっても、ラボから外に出ることは叶わないが。













































 ラボ―――正しく言うならば第二研究施設群。略して二研。
しかしそんな名前を一々言うのも馬鹿らしく、今は皆「ラボ」と呼んでいる。
(ちなみに研究施設群は他にもある。それらを呼ぶときだけ此処では一研とかイチとか区別をつけて呼んだりする。)
 政府直属の研究所であるラボは、現在人工知能チップを埋め込んだ高性能ロボットの研究、及び作成が行われている。
丁度54年前にアメリカとEU諸国で始まった大戦の折、ナノ研究業界のトップに躍り出た日本で、あるプロジェクトが持ち上がった。

『人間に限りなく近い性能を持ったロボットで構成された軍隊を作る』

 後にアメリカ側につき米支持諸国と同盟を結んだ日本は、その計画からロボット業界に革命を起こす。
 正式名称を人工知能搭載制御可能機器という。ラボでは頭文字を取ってA.C.A.と呼んでいる。
これはこのラボで唯一の傑作と謳われ、現在でも日々改良が成され、且つ大量に生産されている。
 ACAがロボットの最高傑作と謳われた理由は二つある。一つは人間と見分けがつかない程の見た目の完璧さ。
二つ目、これが最も重要でありACAがACAたる所以の機能で、「心」、具体的いうなら喜怒哀楽を表現する
「感情」といったデータが搭載されているということ。
 例えば人間が傷ついたとき、それを見て悲しみ、相応の対処を行うためだと、それを最初に作った研究者は言った。
人工知能チップに数パターンの感情を記録し、それを組み合わせて応用パターンをいくつも作り出すことができる。
 その「心」としてのデータは、ACAの起動回路とプログラムが共同になっていて、「心」無しにACAは動かないのだ。
 だが皮肉なことに、ACAの性能を良くしようとすればするほど、逆に「心」は失われていった。
つまり兵器として開発されたはずが、兵器として求められる性能を発揮することができなかったのだ。
 「心」を保てる限界まで性能の良くされたACAでさえ、ほんの少し人間より秀でている程度、といった具合だ。

 現在ラボで最もメインに研究されているのが、この問題の改善方法である。

 生産されているACAの「心」は全て、先のプロジェクト創始メンバーの一人が創った「オリジナルの心」が搭載されている。
何故かというのは至極簡単で、「心」がデータのリライトを一切受け付けないためである。
また「心」の制御を行っていると思われる機械が完全なブラックボックスで、
現在の精鋭解析チームでも理解不能なデータが多々含まれており、新たにデータを作ることも出来ていないからだ。
 そこで、彼が唯一作成したとされる「コードXシリーズ」が挙がる。
 これらは全部で17体しか確認されていないが、全てが「オリジナルの心」を保っており、また多様性もあるという。
 生産ラインに載っているACAはコードAから始まるものであるが、そのプロトタイプであるコードXは、 コードAよりも先に創られたにも関わらず性能はコードAの数倍良い。
 ただ、その研究者はコードXに関する情報を一切残すことなく失踪したため、コードXシリーズは未解明のACAとして扱われている。

 虎鉄大河はこのラボで働く研究員の一人だ。一人といってもそれなりに重要なポストには就いている。
 先程までやっていた仕事は、ACAのスキンが動物の皮膚のように再生出来るようになる、擬似皮膚の作成データだった。
しかしあの状態で完成は見込めそうになかった。完成を仮定した場合、足りない要素が多すぎるのだ。
今現在作成不可能なプログラム。弾力性を持ちながら硬化も可能な素材。角質を真似たチップに搭載する神経信号データ。
 どれもまだ実現していない技術ばかりだった。













































 廊下に出るとひんやりとした空気が躰を包み、ぶるりと身震いをする。
 何故エアコンディショナーが付いていないのだろうと考えて、顔を顰めた。
「今……何時Da?」
 仕事に夢中になりすぎて、つい今が何時なのかを確かめるのを忘れたことに気付いた。
生憎ハンディコンピュータは部屋に置いてきてしまった。今更部屋に戻るのも気が引ける。
「まァ……いいKa……腹減ったShi」
 一度止めた歩を進め、ふらふらと食堂への道を歩く。
 白衣を着たままで良かったと思った。それにしてもこの廊下は寒すぎやしないか。
深夜なのかもしれない。いや、間違いなく深夜だろう。
 政府の方針で、ラボは夜間の電力使用を制限された。
昔に比べ、いくら性能が良くなったといえども所詮は大型の電化製品。
喰う電力が半端じゃないのは誰でも知っていることだ。
 エネルギー問題が一層深刻になった現代では、エアコンディショナー一つでさえ大問題に繋がる。
(Ah……いけね……電源落とすの忘れTa……)
 コンピュータの電源が点けっぱなしだ。コンピュータもまた、膨大な電力を必要とする電子機器のひとつ。
このことがバレたら減棒ものかもしれないが、やはり戻るのは面倒くさい。
 兎に角、今は何よりも先に食べ物が欲しい。
 通路を曲がる。

 否、曲がろうとしたのだが。

「―――ッ!!」
「え、わっ……!」
 ぐるりと視界がぶれたかと思うと、無機質な天井が目に入った。
眼前に飛び出してきた誰かと思い切りぶつかって、ぶつかってきた誰かを受け止めきれず廊下に倒れたらしい。
 ついでに後頭部を打ち付けて鈍痛が奔った。
(畜生……ッ。クラクラすRu……)
 ああ、ツイてない。
「痛ェ……」
 ぼそりと呟く。ちょっとした意趣返しのつもりだった。
 不機嫌を装った声音に、案の定ぶつかってきた相手は慌てて顔を上げる。
「あ……えっと……すみませ―――っ」
 あまりに動揺してるらしい声音に少しやりすぎたかと思い、声を掛けようとする。
目を遣って、相手の表情が凍り付いていることに気が付いた。
 様子がおかしい。
「!!」
「……なんだYo?」
「虎鉄……さん……!」
「Ah?なんで俺の名前知って―――…ッ!」

 目の前から、その姿が掻き消えた。

 そして。
「もうしわけありません……っ!」
 トン、と首筋に軽い衝撃。
 ぐらりと躰が揺れ、意識が徐々にフェードアウトしていったことで、何をされたかを悟った。
「クソ野郎……ッ」
 悪態を吐くも、それは弱々しく。
 遠ざかる微かな足音を聴きながら、墜ちた。

















051003.
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