双頭の金鷲(070601)








 船から降り立った途端容赦なく吹きつける欧州の寒風に、体を取り巻く暖かい船内の空気が外套の内にあるそれでさえ 一瞬にして冷えた。やはり冬に来るのは間違いだったかと軽く後悔しながら、 しかしこの国の美しさは冬が(とりわけ神の聖誕祭が)一番だと知っているからには今来なくてどうするのだと、 そう考えたのも確かに自分自身で。
 白い息を吐き出しながら日本はふと、人込みの中に見知った金色を見つけた。
「お久しぶりです」
「……?」
 見上げるばかりの人の群れをどうにか掻き分けて彼の元に辿り着くと、 とん、と腕を叩き(生憎と肩は高くて届かなかった)声を掛けた。
 果たして振り返った彼は日本の姿を認めると怪訝そうな表情をした。彼もまさか日本がこんな時期にこの場所に 居るとは思わなかったのだろう。当然の反応かもしれない―――が。すぐに解けるかと思われたそれは 逡巡の間を空けて逆に一層深まったのだった。そして白い息を吐き出しながら彼は口を開いて曰く。
「すまないが人違いではないだろうか」
「え、ですが、」
 困ったのは日本の方だ。口ごもりながら眺め遣った彼の容姿は、金の髪も瞳の蒼さも確かに何年か前に会ったときと同じで。 少し背は高くなったかもしれないがそれは微小な変化に過ぎず、第一此処は彼の首都であるのだから間違えようもない。 (ついでに言うと彼は人を揶揄う癖があった筈だったから、もしや騙されているのでは、と僅か疑いながら) 仕方無しに日本は再び口を開いた。
「あの、以前私の家で憲法を作成するときに上司が世話になったんですが……」
「憲法?―――ああ成程。そういうことか」
 彼はその単語にぴくりと眉を跳ね上げると、 次の瞬間には額に手を当てて納得したと呟いた。その彼の言動を見て日本も気づく。
「もしや貴方はプロイセンさんでは……」
 日本の言葉に僅か目を瞠った彼はそれを今度は細めながら、笑いを含んだ声で言った。
「そのもしや、だ」

 ……ああなんということだろうか!

 思わず日本は心中でそう叫んだ。半ば予想していた答えとはいえ、聞いた瞬間はやはり顔にカッと血が集まりあつくなった。 異国の地で肩を叩いた相手が赤の他人だったなんてとんでもなく恥ずかしい。穴があったら凄い勢いで入りたいぐらいだ。
「す、すみません……」
「構わない。それより、名を訊いても?」
 彼は笑いを収めるとその蒼眼をひたりと見据えてきた。そういえば自己紹介は(勘違いをしていたのだから当然だが) 未だだったと気づいて、赤ら顔ではあったが居住まいを正して日本は答えた。
「なんだか今更な気もしますが……初めまして、日本です」
「そうか君が。こちらこそ初めましてだな。ドイツだ」
「あ……では貴方が、」
 ドイツというその響きを耳にして流石の日本もこの珍劇の正体を理解した。つまり自らの持つ勘違いを、だ。
「確か日本のところではプロイセンと……いや、プロシアだったか。そう呼ばれていると聞いている」
「はい。てっきりこの国はプロイセンさんだとばかり……」
 ドイツ帝国なるものが誕生したのは知っていた(何せあのフランスをも下しての華々しくも目立ち過ぎる誕生宣言だ。 知らない者はいない)が、いかんせん公式の場で彼を見た者は多くなく、たいていはプロイセンが代わりに挨拶回りをしている。 祝賀会に出席した日本も例に漏れず出会ったのはプロイセンで、だからこそ彼とドイツを間違えた。
「……そうだな。解りにくいかもしれない」
 この国は、と付け足してドイツは複雑そうに苦笑した。



「それにしてもドイツさんってプロイセンさんにそっくりなんですね」
「……そんなに、似ているだろうか?」
 暫く互いのことを話している内ふと日本が口にした言葉に―――今度は苦々しげにドイツは顔を顰めた。 しかし彼にそんな表情をさせる理由に思い至らない日本は小首を傾げてから一度首肯して言葉を続ける。
「はい。喋り方は違うんですが、やはり容姿だけだととても」
「……そうか……」
 再び、彼は肩を落とす。
「……ドイツさん?どうしたんです?」
「いや何でもない……っと、もうこんな時間だったか。 すまないが用事があるので此処でいいだろうか。この国へは観光か?」
「はい、少し羽を伸ばしに。こちらこそお引き留めしてすみませんでした」
「気にしてない。案内は出来ないが楽しんでくれ。それではまた」
「はい。また」
 そそくさと去っていくドイツの姿に再び首を傾げながら、やはり理由に思い至ることはなく日本も冬の雑踏に紛れこんだ。

 彼がその要因を知るのは一月先のことだ。










(独のオールバックは普と間違われるのが嫌だからだと萌えるよね!という妄想)