手のかかる大人(070411)








 それはドイツが機嫌よくヴルストを茹でていたときのことだ。もう少しで茹で上がる、 と嬉々として鍋の前でトングを構えた瞬間、ドスンともドタンともとれる大きな、 それも無駄によく響く衝撃音―――言ってしまえば人が風呂場で倒れた音が、した。
「―――!」
 咄嗟に鍋を火から下ろして風呂場に駆け付けてみれば案の定、足元でその男は倒れていたのだ。



 額に走った心地のよい低温に、意識が引き揚げられた。重い瞼を持ち上げればぼんやりとした視界に映る金。 段々と焦点が合ってくるに従ってそれはよく知る国の輪郭となった。憮然とした表情の彼は こちらの視点があったことを認めるとゆるゆると溜息を吐いた。
「呆れたぞ、プロイセン」
「……んあー?」
 自らの名に反応してプロイセンはとりあえず声を上げてみた。渇いた喉のせいで思いの外酷く掠れたそれに おもいきり眉根を寄せた目の前のドイツが、プロイセンには薄いカーテンを隔てた向こう側にいるように遠く、 どこか現実味を帯びない。というよりも、夢でも見ているかのような感覚は何も視界だけでなく思考も同じく ふわふわと纏まらない。まるで熱に浮されているみたいだ。心なしか体中が熱い気もする。そう思ったところで再び、 今度は心底呆れたといった体で聞いてるのか?とドイツが唸った。
「まったくおまえは……入浴時にアルコールを摂取するなとあれだけ言っただろう」
「……うるさいな」
 どうやら本当に自分は病人だった、らしい。
 確かにバスにワインは持ち込んだ。ハーフボトルが空になった時点で随分と気持ちの良い飲み方が出来ていたから、 上機嫌で湯から上がろうとして滑らせてはいけないと慎重に(あくまでも慎重に、)タイルに足をつけたところで――― そういえばそこから、記憶がない。ということは間違いなくタイルに足を取られた筈だが体に傷や痛みが感じられない以上、 自分は余程上手く転倒したらしい。運がいいというかなんというか。いやそんなところで運を使い切りたくないけれど。
 相変わらず思考は靄がかかったようにはっきりとしなかったが無理矢理体を起こした。 ふるりと一度頭を振る。未だ、眩暈。
「うー、気持ち悪……」
「自業自得だ」
 ほら、と目の前に差し出された水の入ったグラスを有難く頂戴する。
「大体、酒は弱いんじゃなかったのか」
「余計なお世話だ」
「また同じことをされたら迷惑なんだ」
「してたまるか」
「……頼むから、本当にやめてくれ」
 ぼそりと呟くように吐き出されたドイツの言葉にはっと顔を上げた。そして、 長い年月ずっと共に居てプロイセンにはたやすく読み取れる、感情を素直に出さない彼のその少しだけ困ったような表情に、 靄は一瞬にして晴れてしまった。熱っぽさだけは相変わらず。或いはもっと上昇したような気さえしながら、 心配をかけさせるなと続いたドイツの台詞にプロイセンは口の端を上げる。
「前言撤回だ。存分に心配したらいい」
「……おまえは、」
 ふ、と息を吐いて、ドイツは苦笑しながら額を押さえた。
「なんて手のかかる大人なんだ」