Eine Katze und ein Wein(070323)
「よう。元気でやってっかー?」
「……フランス!」
夜も更けて久しく、先程まで隣に座っていたイタリアが既に寝静まってから暫く経った頃。
灼熱が広がる昼とは異なり酷く冷え込むその砂漠に飄々と軽装のフランスは現れた。
ドイツはその有り得なさに思わず目を瞠る。
この地で戦っている相手が直接フランスではないといっても所詮彼は連合国側に変わりないからだ。
「っ!」
「おいおい、んな物騒なもん向けんなって。ほらこれ見ろよ」
反射でライフルを持ち上げたドイツに彼は手に持っていたものを持ち上げる。
脇に抱えていた布袋からおもむろに取り出したのは何のことはない、ただのワインボトルだった。
それでも警戒を続けるドイツにフランスは苦笑を漏らす。
「野良猫みたいだな」
「……カッツならばお前が来た瞬間逃げる」
「それも酷いな」
ドイツの言葉に肩を竦めて返すとフランスは腰を下ろした。その行動にまだ良いとは言ってない、
勝手に座るな、と憮然とした表情でドイツは呟く。
それでも問答無用でフランスを追い出さない辺り態度は軟化していると言えるが、
未だ銃口はフランスの左胸にぴたりと照準を合わせている。
「なんの意図があって来た?」
「なにも?ただワイン飲もうと思って」
言葉通りフランスは袋から次々とグラスやチーズを取り出して並べ始めた。
「酔わせる魂胆か?生憎と兵士は俺一人じゃない」
「まだ疑ってんのか。あのな、これで酔えるならお前相当酒弱いぞ」
フランスが呆れ顔で、簡易テーブルに出したボトルのラベルを向けた。
こん棒型のボトルはドイツにとって見馴れたものだったが、
「黒猫」のツェーラー・シュヴァルツェ・カッツと「聖母の乳」のリープフラウミルヒは、
確かにどちらも有名なドイツワインだ。
フランスのそれよりも軽いものだからワインに慣れていない人間はまずドイツワインから飲み始める。
ようやくフランスに他意がないことを理解しドイツは警戒を解いてトリガーから指を離した。並ぶワインに、
彼なら自分の家のものを持ってくる方が手っ取り早いだろうにと考え、不思議に思い訊ねた。
「なぜドイツワインなんだ」
「ちょっと手に入ったから、で納得してくれ」
いかにも訳有りといった体で誤魔化すフランスに納得しきれずドイツは唸る。
「……ならせめてイタリアの起きているときに来たらどうだ」
「チーズしか無くて悪かったな」
作ってくるのが面倒だったんだとごちてから、
赤だってあるんだぞとフランスが取り出したのはやはりドイツのワインだった。
赤自体が珍しいのに戦時中に(しかも敵国で在るはずの彼が)よく手に入ったものだと
ドイツは密かに感心し同時に疑問にも思った。はぐらかされると解って敢えて訊ねようかどうしようか考え倦ねている間に、
手際よくコルクを引き抜くとフランスはさっさと手元のグラスにワインを注いで飲み始めてしまった。
ドイツは溜息を吐きながら問うのは今度にしよう、と諦め、自らもグラスを手にした。
「ん。さすがリースリング。これはなかなか美味いな」
「……甘いのはお前の口に合わないかと思ってたが」
「美味けりゃ関係ないさ。軽いし」
グラスに残った液体を呷るとすぐ別のボトルを傾けた。ペースの早さは流石フランスと言うべきだろうか、
顔色ひとつ変えずに次々グラスを空けていく。ボトルで揺れる、グラスに注がれる、フランスの口に消えてゆく、
その液体の軌跡を眺めながらふわふわとした心地でドイツはゆるりと眼を閉じる。
(ビールなら……大分飲めるが)
彼に対してドイツ自身はワインはあまり馴れていない。酒と言えばどうしてもビールで、
足が向くのもこぢんまりとしたバーよりもバンドが二つも三つも音を掻き鳴らすどでかいビアホールの方が多い。
フランスのペースに合わせていたからか早く酔いが回って来ているようで、
たわいない話を続けていると段々と呂律が回らなくなってきた。これ以上はマズい。
そう解っていてもなんとなくグラスから手が離せない。多分離せないのは手だけじゃなくて。
(……?)
ふらりと傾いだドイツに気づいてフランスは彼に手を伸ばした。
頭痛をこらえるようにこめかみに手を遣るドイツは限界が近いのか、覗き込むフランスにもあまり反応を示さなかった。
いつもなら飛び退いて顔でも赤くするだろうに。否今も焚き火に照らされている分を差し引いたって赤いだろうが、
それとは別だ。
「大丈夫か?」
「いや、少し……飲み過ぎた……」
「お?ならさっさと寝ちまえ」
「だが仕事が、まだ……」
声を掛ければ思ったよりも意識ははっきりしているようだが、
やはり襲い来る眠気には勝てないようで瞼は今にも閉じそうだった。渋るドイツに、
眠気を助長するようあやすように背中を叩きながら、フランスは自分の作戦が上手くいきそうなことに思わず口の端を上げた。
此処でドイツが落ちればフランスの担当分は完遂だ。
後はテントに引っ込んだイタリアやドイツの優秀な部下がなんとかしてくれる手筈である。
―――ドイツのために何かしてあげたい、とイタリアが泣きついてきたのはおよそ一週間ほど前。
俺のためにドイツが寝不足で、としゃくりあげる彼を胸元で宥めている間突き刺さる周囲の視線は、結構痛かったものだ。
そんな彼に作戦を提示してやってからどうにかドイツの部下と寛容な将軍殿を説き伏せてこの場をセッティングするのに一週間。
今の自分の顔は誰にも見せられないだろうなあ、と思いながら、
フランスは一度離した顔をドイツにゆっくりと近づけて囁いた。
「そーゆのはぜーんぶ明日な」
完全に意識が落ちて崩れ落ちるドイツの躰を抱き込む。
シュヴァルツェ・カッツの味が残る唇をぺろりと舐め、甘いなと呟いた。