天啓(07314)








「ジャンヌ!」

 川面を撫でる風の音に紛れて微かに聞こえる愛しき祖国の声。 砂利を踏み締める足音が大きくなり側で停まったのを耳で確認してから勿体振るようにジャンヌは振り返った。 果たして予想通りの人物が普段らしからぬ息を切らせた姿で立っている。
「フランス」
「っ!お前、あのなあ!何処に行ったかと思って必死で…」
「必死で捜してくれた?」
 ジャンヌが先を越してそう言えば、フランスは一度ぐっと言葉を詰まらせて「悪いか!」と自棄気味に吐き捨て、 ジャンヌの隣にどかりと腰をおろした。それを見て彼女は密かに笑む。 誰よりも愛を語ることに長けている筈の彼の口から今は余裕のない言葉ばかりが出てくる。 そこから自分への執着が感じ取れて、それが酷く嬉しかった。
「まだ戻らなくても大丈夫なんですか?」
「女神様がお疲れだろうから今日の進軍は此処までだと。部隊長が伝えてこいってさ」
「……成る程。部隊長はなかなかいい目を持っているみたいで」
 それでこの人選ね、と意味ありげにフランスを見遣った。彼の方は素知らぬふりを決め込んでいたが、 ジャンヌの言葉を気にしているのが丸分かりだ。それがおかしくて嬉しくて、彼女は抑え切れずに声を出して笑ってしまった。 途端フランスが睨んでくるが気にせず肩を震わせる。
 彼はこう思っているのだ。ジャンヌはフランスの好意に気付いていながらそれをからかって遊んでいるのだと。 本当は違うのに、とジャンヌは思う。相手に夢中なのは彼女も同じだ。けれどもジャンヌの想いが叶うことは永劫ない。 彼との間には存在も、生きている時間も異にするという絶対的で決定的な違いがある。 現に出会ってからずっと変わらない彼の姿形に対して年を経る毎に非力になる自らの身体。 天は神は愛しき祖国を消滅の恐怖から護るための力を与えて下さったのに。 油断するとすぐに戦うことの出来なくなるこの身体が恨めしい。
(でも恨むだけなら誰にでも出来る)
 ジャンヌ・ダルクは決してそんな女であってはいけない。予言を受けた者がその程度であるのは許されない。 恨んでる暇がエネルギーがあるならそのベクトルをどうして戦いに向けないことが出来ようか。
 静かな河辺に馬の嘶く声が小さく響く。二人してそれにはっと顔を上げた。恐らく野営地からのジャンヌに対する帰還催促。 名残惜しくとも、催促といえどほぼ命令に等しいそれに彼女は立ち上がらざるを得なかった。
「次で最後だな」
 ぽつりとフランスがそう零したのに、ジャンヌはどきりとした。最後。次の戦いさえ終えれば城は目の前だ。 だから最後にして最大の戦になる筈だと互いに見込んで敵も味方も戦力を整えている。そしてそれももうじき終わる。
「ええ。最後も勝利を貴方に捧げましょう」
 それがジャンヌ・ダルクの役割。足元の砂利を、彼を彼たらしめるこの大地を踏み締めて彼女はそうあることを誓う。
「……フランス」
「なんだ?」
 頭一つ分背の高いフランスを見上げてジャンヌはゆっくりと口を開く。 紡いだのは彼女がその男に出会ってから何度も繰り返した言葉。
「……貴方のことは私が守ってみせます。絶対に」
「なら、」
 それに対してフランスも真剣な表情を浮かべると腰に下げた剣を抜き天に掲げ、言った。
「なら俺はその背中を守るから、安心して戦え」
 この言葉も常と同じものだった。だがジャンヌはこの答えを聴くたび震えが全身を支配する。 彼は自分の発した言葉がどんなに彼女に対し甘美に響くか知らないのだ。
 太陽の光を反射する剣先が酷く眩しかった。