病
※配役は12巻参照。芳流閣での捕物の翌日。
旅籠の朝は早い。主の文五兵衛が起きて膳の用意を始めた頃、ふたりの客はまだ起きていない。
しばらくののち支度を終えて納戸の障子から声を掛ければ、うち一人、頼久からの返答があった。
「私はとうに起きているのですが、未明から傷が痛んで天真は苦しんでいるのです。恐らく破傷風になったのでしょう」
「それはいけない。私が容態を見ましょう」
そう言って文五兵衛は戸を開けると、魘される天真の枕元に膝をついた。
名を呼べば、俄に痙攣を起こし苦しげに唸った。しかし意識あっての様子には見えず目を覚ます兆しも無い。
痙攣と絶えず流れる汗は明らかな破傷風の証だ。昨日の芳流閣で行われた捕物の際、
頼久に斬られた左肘と右股の裂傷に因るものだろう。
傷を診るために解いた天真の帯を元に戻すと、文五兵衛は告げる。
「顔色も悪く大分苦しそうだが、お尋ね者故医者も呼べぬ。ただ、
てまえの相伝の法によりますと若い男女の鮮血を五合ずつ傷に注げばたちどころに破傷風が治るとか」
頼久は思案しているのか少しの間沈黙すると、静かに口を開く。
「血洗いの方術はなるべく避けたい。聞くところ武蔵の国の司馬浦に破傷風の売薬があるそうです。
司馬浦なら五里か六里ですから丑の刻には戻れるかと思うのですが……」
「その薬なら良いでしょう。しかしその躰で道中は無事なのですか?」
文五兵衛の言い分は尤もだ。同じく捕物で天真につけられた肩の傷は彼とそう変わらない深さだった。
決して動き回って良い傷では無いことを治療した文五兵衛は知っている。
代わりに行くという言葉をしかし頼久は首を振ることで断った。
「私なら丈夫ゆえ平気です。天真には告げずに参りましょう」
言うが早いが直ぐさま支度を済ますと頼久は発った。
一刻ほどして、天真は目覚めた。
多量の発汗と治癒のためと白湯と簡単な膳を勧めたが、喉を通らないからと彼は箸を取らなかった。
二杯の白湯をゆっくりと飲み干して天真は掠れ声で訊ねた。
「あいつの姿が見えないんだが……?」
文五兵衛は子細を隠さずに告げた。すると天真は深々と溜息を吐き、
「頼久も傷を負っているのに」
と言って舌を打った。彼は境遇ゆえ誓いを交わした義兄弟のことを酷く心配しているのだろう。
事情を聞き知っている者として文五兵衛も心境は同じだ。
再び体調の悪化を訴えた天真を茵に押しやると、簀子に響いた足音に気づき誰何した。
060731
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