遺言
 ※配役は12巻参照。糠助は信乃のお隣さんで玄吉の実父。玄吉=現八。







「糠助おじさん……気分はどうなんだ?」
 知らせを受けて、天真は急いで糠助の家に行った。病床に伏せる糠助は、 訪い人に気づき起きあがろうとするが余力が無く出来なかった。彼の衰えが目に見えて判って天真は眉を顰める。
 その様に僅か顔を歪めて糠助は苦しげに口を開いた。
「天真、お前の親切に報いることが出来なくて口惜しい。親類も妻も失くして身軽に果てるこの身だが、 唯一のこころのこりはわたしの子のことなのだ」
「子が……居たのか」
「さきの女房にうまれたおのこで、名を玄吉という。だがすぐに女房は死に借銭もあって養うことも出来ず、 子は餓鬼のように痩せ細ってしまった。いきだおれは恥と思い、ひとおもいに死のうと欄干に足をかけたところを、 ひとりの武士に止められたのだ」
 一息に語る糠助は遠くを見るような目をして続ける。
 天真はじっと座して聴いていた。身寄りの無い彼の言葉を聞き届けられるのが自分一人だからだ。
「いきさつを話すとその子をわしにくれぬかと問われ、よろこんで承知した。 さらにその人は路銀や食べ物を与えるなどほんとうに良くしてくれて、かたじけなさに涙が出そうになりながら、 玄吉をわたした。その人の名も訊かず、今になって行方が酷く気になったのだ。 もしお前が滸我どのの元へ参じることがあるならこころにとめてくれないか」
「……ああ、必ず」
「玄吉はうまれながらに右の頬に牡丹の痣があるから一目で判るだろう。それから、 今もあるならまもり袋の中に「信」の文字が浮かぶ珠を持っているはずだ。 今これをお前に話すのは、お前が信義の男だからだ」
 そう言ってひたりと天真を見据えた瞳の光が病人と思えないほど強く、はっとする。 彼の思いに背筋を伸ばしてもう一度「必ず」と答えた。答えに満足したのか、糠助はやっと笑みを浮かべた。
「死に際がこんなにも清々しいのは、わだかまりを話したからだろうか。ありがとう、天真」
 そう言って一筋涙を流す姿に、天真の目頭も熱くなる。 ぐっと顔に力を入れて今にも零れそうになる涙と震えそうになる声を抑えて口を開いた。
「おじさん、良く解った。あんたの息子と俺の境遇が似ているのには驚いた。養い親の名が知れずとも、 この珠の縁に導かれてきっと玄吉とも出逢えるはずだ。約束したことは果たすからな」
 だから今は養生してくれ、と糠助の掛けていた布を引き上げる。その翌朝、糠助は死んだ。
 のちにその玄吉と刀を交わすことを、彼は知らない。

















060731
ブラウザでお戻りください